寄り添わず、無関心にもならず・・・

  先日の国連UNHCR難民映画祭の会見続報です。映画祭の公式サイトにも、記者会見、プレ上映会の様子が報告されています。

東京で記者会見、プレ上映会を開催 – 第12回 国連UNHCR難民映画祭2017

 

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 会見の写真も載っていますね。位置関係からすると、不肖私の背中も映っているはずなのですが、あっ、これかな・・・どうでもいいか。

 上映された『シリアに生まれて』については、以下のように報告されています。

 『日本初上映となるこの作品は、故国シリアを追われて難民となり、見知らぬ土地で生き抜こうと苦闘する7人の子ども達にカメラが丁寧に寄り添ったドキュメンタリーです。上映後、参加者からは「画面の中のことが現実であることに、ただただ衝撃を受けた」、「難民の子どもたちの状況をリアルに知ることができた」といった声が寄せられました』

 丁寧に寄り添うことと、ドキュメンタリーが成立することとは、両立するのかどうか。個人的にはそんなことも考えながら、一方で、寄り添うかどうかは別にして、丁寧に伝えることは大切だと、最近は改めて思います。

 そもそも人に寄り添えないタイプのおじさん層の感想ですね、きっと。寄り添わず、無関心にならず・・・とか。

 対象は異なりますが、日本の(東京の、というべきか)性的マイノリティ―の姿を伝えるドキュメンタリー映画『私はワタシ over the rainbow~』をつい最近、観たので、そのことも影響しているかもしれません。

 『シリアに生まれて』は開催予定の6都市すべてで上映されるそうです。