U=U国際シンポ報告 感想編 エイズと社会ウェブ版447

 

 前日の報告に続き、U=Uというコンセプトを日本の国内でどう受け止めていったらいいのかについて考えてみます。

 13日の国際シンポで、コメンテーターとして発言した日本HIV陽性者ネットワークJaNP+の高久陽介代表は、その発言の趣旨をもとに整理した考え方をFacebookで発表しています。さらに私なりにその趣旨を簡略化してまとめてみました。あくまで私見なので、乖離する部分があったとしたら(たぶん、あると思うけど)、高久さん、ごめんなさい。

 医療基盤やHIV/エイズに対する社会的、あるいは政治的関心度など日本の現状を踏まえ、高久さんは、医療従事者、日本エイズ学会やエイズ関連NGO、ゲイ男性等に予防啓発や検査普及を行うNPOおよび保健所、一般住民など対象別にメッセージをきめ細かく伝える必要があることを指摘しています。

 まず、HIV診療や陽性告知に携わる医療従事者に対しては「他者への感染予防を治療の目的として明確に位置付け、感染源として扱われることとメンタルヘルス低下との関連を意識して、患者一人一人にしっかり情報提供する」ことが必要だとしています。

 個人的な私の感想では、治療の目的はあくまで、治療を受ける人の健康上の利益にあると思うのですが、その中に「他者への感染予防」も含まれるというのは、HIV陽性ではない(と少なくとも自分では思っているわ)私にとっては、これまで気づかずにいたことを教えられる思いでした。

 その意味でも「感染源として扱われることとメンタルヘルス低下との関連を意識して」という部分は重要です。シンポジウムでサイモン・コリンズ氏が「医師にとってU=Uを知ることで患者とのコミュニケーションがよくなっている」という調査結果を紹介したことにも共通する視点でしょうね。

 また、日本エイズ学会およびエイズ関連NGOには「早期の治療開始が感染拡大の抑止につながる(TasP)観点から障害認定の基準を見直し、ハイリスク層であるゲイ男性等への予防啓発と検査促進により重点的に予算配分してもらえるよう」国会議員や行政にロビイングを行うことを求めています。

 これは高久さん自身がJaNP+の活動の中ですでに実践していることでもありますが、我が国の制度的な課題について、学会やNGOはより意識的にそうした働きかけをとっていく必要がありそうです。

 一方、ゲイ男性等を対象に予防啓発や検査普及を行うNPOおよび保健所に対しては「もはやHIV陽性者が感染源ではないことを明確にキャンペーンすると同時に、他のSTDに対するリテラシー向上を置き去りにしない」としています。

 さらに一般住民に対するメッセージでは「引き続き(U=U以前の)基本的な知識を普及していくことを継続する中で、U=Uについても盛り込む」というかたちの伝え方を提案しています。これも大切ですね。現状では、U=Uだけに特化したキャンペーンを行っても、何のことだか分からないということであまり関心を示さない人が多いように感じます。

 「U=U」はアルファベットなので日本語ネイティブにはなじめないという指摘もあります。

 ただし、私はこの点については、必ずしもそうだとは思っていません。マスメディアの片隅でニュースについて考えてきた経験からすると、やりようによっては、えっ、U=U、なにそれ?ということで、関心が広がっていくこともあり得るのではないか。そんな印象も個人的には持っています。

 むしろ、そうした一過性の関心を高める機会があったとして、そこからさらに分かりやすく、過不足のないメッセージをどのような言葉で伝えていけるかということが大切になります。何を伝えるか、あるいは取り上げることで誤解や偏見を広げてしまうメッセージがあるとしたら、それは何なのか。メッセージを伝える側はこのことを何度も繰り返し、オープンな場で話せる機会を持つ必要があります。

 私がどう思っているかということはこの際、どうでもいいことなのかもしれませんが、個人的には、実はU=Uのメッセージに完全に同調しているわけではなく、有効性を認めつつ、危うさもあるなという印象も同時に持っています。

 その中で、ひとつ指摘しておくとすれば「もうU=Uの時代なんだから、治療を続けている人に対しては、差別したり、偏見をもったりする必要はありません」といったたぐいのメッセージは避けてほしいと思います。

 検査を受け、治療を続けているから差別や偏見の対象にならないということなのだとしたら、1981年にエイズの最初の公式症例が報告されて以来、これまでの40年近いHIV/エイズとの闘いの歴史のうち、30年くらいは、HIVに感染した人に対する差別も偏見も正当化(とまではいいませんが、しょうがなかったんじゃないのぐらいには容認)されてしまいます。逆説的には、だからU=Uが出てきたんじゃないのということもできるかもしれません。

 いまだって、「診療拒否はしませんから、ちゃんと体内のウイルス量を検出限界未満に下げてから来てください」と公的な場で発言する医療関係者はいます。

 少なくともHIV/エイズ対策の歴史はそのようなことを容認などしてこなかった。だからこそ、不十分なことはまだ、どっさりあるけれど、何とかここまでこぎつけてきた。国際的にも、国内でも、そのことは指摘しておきたい。

 そうした現状も認識したうえで、U=Uというムーブメントを否定し、つぶすためでなく、むしろU=Uが日本の社会の中で有効なコンセプトとして機能するようなかたちで、メッセージを工夫していくにはどうしたらいいのか。そうした議論を進め、理屈に合った行動を支えていくうえでも、批判的立場の視点は必要なのかもしれません。