『LGBTヒストリーブック 絶対に諦めなかった人々の100年の闘い』 読後感想文

 アメリカでジェローム・ボーレン著『Gay & Lesbian HISTORY FOR KIDS』が刊行されたのは2016年のことだった。副題は『The Century-Long Struggle for LGBT Rights』となっている。この部分を訳者の北丸雄二さんは『絶対に諦めなかった人々の100年の闘い』と訳した。「絶妙の」などと評したら少し軽くなってしまいそうだが、この一行の翻訳に込めた訳者、そして編集・発行に携わった人たちの強い思いが伝わって、ついついこちらも涙が出そうになる。 

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 本書における「100年の闘い」の記述は刊行前年の2015年における米国内の状況で終わる。その少し前から同性婚を認める動きが各州で広がり、連邦政府も実質的にそれを追認するかたちになっていた。ただし、2015年10月時点でも「実はアメリカでは50州のうち計28州で、ゲイだとかレズビアンであるという理由で誰かを解雇することはまったく問題なく合法」だったという。

 つまり、「闘い」はまだ過渡期であるが変化の歯車は大きく回り始めている。そんな時期だからこそヒストリーブックが必要だったともいえる。

 日本語版の刊行は2019年12月だから本書の最後の記述内容からみると、4年あまりの時差がある。100年も諦めずに闘い続けて、米国で性的少数者に平等な権利が認められるようになるのは、実は最近のことだった。そう考えると、この4年の時差も絶妙であるように私には感じられた。

 北丸さんは日本語版刊行直後の昨年12月5日に東京・内幸町の日本記者クラブで記者会見を行っている。

https://www.jnpc.or.jp/archive/conferences/35563/report

 事務局から依頼された不肖・私の会見のリポートも日本記者クラブの公式サイトに掲載されているので、ここではさらに加筆したものを再掲しておこう。

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『ブームを下支えする資料として/300件の文献と400人の登場人物』

 北丸さんは1993年から96年まで中日新聞東京新聞)のニューヨーク支局長だった。その当時、旧知の記者に「公民権運動の視点からLGBTの取材をした方がいいよ」といっても日本の記者は取り合ってくれなかった。「むしろ忌避するような状態」だったという。 

 LGBTレズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダーの頭文字であり、最近は性的少数者の総称として使われることも多い。

 私も当時、産経新聞のニューヨーク支局長だったので、そのアドバイスに振り向こうとしなかった記憶がかすかにある。

 北丸さんはその後、フリーのジャーナリストとして米国にとどまり、2018年には拠点を日本に移している。

 「戻ってくると国内はにわかLGBTブームになっていた」

 ただし、これは私の感想になるが、そのブームはどこかマーケティングの視点で底上げされているような印象もないことはない。

 このあたりのことを北丸さんは「人権運動としてブームを下支えする資料がない」と表現している。米独立系出版社の編集長であるジェローム・ポーレンが子供向けに書いた本書を翻訳したのもそのためだ。

 300件の文献をもとに紹介される登場人物は400人近い。図や写真を多く使い、記述も平易で分かりやすい。ただし、「論理に関しては一点の妥協もない。アメリカの民主主義の実現の仕方を学ぶ一級の資料」と訳者として本書の魅力を語る。

 絶対に諦めなかった人々の闘いは実は100年にとどまるものではない。本書の記述は19世紀後半から始まっている。そして、21世紀のいまもなお課題は多く残され、闘いがこの後も続くことを予言しつつ2015年段階で終わっている。

 2020年の現在から数えると125年前の1895年には、詩人のオスカー・ワイルドが同性愛行為で刑事罰に問われ、禁固2年の判決を受けている。ワイルドは「私には何も言うことができないのですか」と裁判官に問いかけたが黙殺され、廷吏に法廷から引きずりだされる。

 「ワイルドがその時に言いたかったことが100年を通じて、紡がれていった」

 北丸さんの話はそこから、エイズの流行という厳しい試練を経て、2020年米大統領選挙をめぐる動きにまで及んだ。まず大人が読んでおきたい本でもある。

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 もちろんfor kidsであるから日本の高校生ぐらいにも読んでほしい。私の70年の人生は極端に想像力が欠如していたせいか、性的少数者の苦悩をわがことのように感じることはできないのだが、中学生ぐらいでも本書を読むことで勇気づけられるキッズは必ずいるに違いない。学校の図書館においてあれば、そっと手を伸ばすこともできるかもしれない。それでも人目をはばかり、手に取って直接、読むことができなかったにしても、だれか身近にこの本を読んだことで言動が少なからず変化した大人がいれば、深い悩みを抱えるキッズたちが相談しようかなという気になれるかもしれない。

 そうしたことも含め、東京オリンピックパラリンピックを迎える年、そしてアメリカの大統領選レースがヒートアップする年の直前に日本語版が刊行されたことは、絶妙のタイミングだったと改めて思う。