ハンセン病家族訴訟 原告勝訴 国は控訴の断念を 

すでにニュースで大きく報じられていますが、ハンセン病の元患者の家族500人余りが国家賠償を求めて起こした集団訴訟で、熊本地裁は本日(628日)、国に37000万円余りの賠償を命じる判決を言い渡しました。

こちらは毎日新聞の記事ですね。

ハンセン病家族訴訟 国の責任認め初の判決 熊本地裁

news.biglobe.ne.jp

 

 こちらはNHKのニュースです。 

www3.nhk.or.jp

 

 

ハンセン病の患者・元患者に対し、国は長く隔離政策をとってきました。そのことが社会にとって、ハンセン病という病に苦しむ人が存在することへの想像力を失い、抽象的な恐怖や不安に基づく差別と偏見を増幅させる結果になっています。

NHKのニュースによると判決は「差別は以前から存在していたが、隔離政策によって恐ろしい伝染病だという考えが国民に植え付けられていて、国は元患者の家族との関係でも、偏見や差別を取り除く義務を負わなければならない」と指摘しています。

 

感染症対策で最も重要なことは、実際にその病に苦しんでいる人、そしてその周囲にいる人たちへの想像力を失わないことです。

感染しているのは人です。抽象的な恐怖や不安などではなく、顕微鏡の拡大写真で大写しにされた病原体でもありません。具体的に生活している人です。そして、その人たちこそが、社会の中で最もよく病と闘っている人たちであり、支援を必要としている人たちでもあります。

自分のフィールドに強引に引き込むようで恐縮ですが、そうした支援を通してこそ、社会は恐怖や不安を克服し、困難な感染症の流行に正しく対応することができる。これはハンセン病対策の歴史からHIV/エイズ対策が学んできた大きな教訓でもあります。また、おそらくはいつか来るかもしれない未知の新たな感染症に対応するための基本にもなります。感染症対策でしばしば重要性が指摘されるプリペアードネス(準備性)というものにもそうした基本が含まれていなければ、いたずらにパニックをあおり、混乱と被害を拡大させるだけになるでしょう。

 

ハンセン病の元患者に関しては2001年に熊本地裁が隔離政策を違憲とし、国の賠償責任を認定する判決を言い渡しています。この時、国は控訴を断念し、元患者に謝罪して判決を確定させました。小泉純一郎首相、坂口力厚労相の時代です。

すでに遅きに失していたとはいえ、この時点でなお、控訴は当然とする官僚が多かった中で、政治の決断による控訴断念は極めて重要だったと思います。厳しい病に苦しむ人に対する社会的な差別や偏見は、国だけが当事者ではありません。社会としてそれを当然とするような雰囲気があり、政策はそこに支えられて成り立っている面もあるからです。

だからこそ逆に、2001年に国が控訴を断念したときには、ぎりぎりの最後のところで救われたような思いを持った人も少なくなかったのではないでしょうか。自分たちの住んでいる社会にも少しは暖かい面があるぞと再確認してほっとするような思いを、少なくとも多数派、おそらくは圧倒的多数派の人たちが抱いたのではないでしょうか。

今回の原告は、隔離収容の対象とされた元患者ではなく、その家族です。毎日新聞の記事では『原告一人一人は、学校でのいじめや患者の家族であることを理由とした離婚、地域社会からの排除など異なる差別被害を受けてきた』と指摘しています。そうだっただろうと私も思います。離婚の前に、そもそも結婚を断念しなければならなかった人、就職できなかった人もいらしたでしょう。

長い時間が経ちました。元患者の皆さんと同じように家族もすでに高齢です。国が控訴して、また裁判で争うことになれば、さらに時間がかかります。その間に亡くなる人もいらっしゃるでしょう。そうなれば謝罪の機会も失われてしまいます。せめてもの政治の決断として、いま控訴を断念して判決を確定させてほしい。そのことで救われるのは、家族たちよりもむしろ、訴訟にもあまり関心を示してこなかった私なのかもしれません。

そして、政治の文脈でみれば、そうした暖かい決断こそが、感染症対策のノウハウとしてハンセン病の教訓を継承していく重要な出発点になります。G20大阪サミット、参院選という政治の季節にあってもなお、いや、あるからこそ、決断を求めたいと切に望みます。