HIVとオリンピック・パラリンピック 3 『カミングアウト』

 

◆カミングアウト

 米プロバスケットボールNBAのアービン・マジック・ジョンソン199111月、シーズン開幕直前の記者会見で現役引退を発表した。健康診断でHIV感染が判明し、心身両面で強い緊張が続くNBAのシーズンは戦い抜けないと判断したからだ。

 それでもプレーへの思いは断ちがたく、翌922月のNBAオールスターゲームには出場した。さらに同じ92年の夏に開催されたバルセロナ五輪では、マイケル・ジョーダン、ラリー・バードといったスター選手とともにドリームチームを編成し、圧倒的な強さで金メダルを獲得している。 

 しかし、バルセロナ五輪の終了後は雲行きが怪しくなっていった。秋からの新シーズンに向け、マジックがNBA復帰を希望すると、他の選手の反応は芳しくなかったのだ。スター選手がこぞって参加したドリームチームにとって、オリンピックも肩慣らし程度の力でやすやすと金メダルが取れる。このことは大会前から予想されていた。

 そうした試合なら他の選手たちにとっても、マジックと一緒にプレーをすることにもちろん異存はない。

だが、プレオフも含め、半年以上にわたるNBAのシーズンで、鎬を削る試合が続くとなると事情は少々、異なる。おそらく当時の現役選手の多くがそう考えたのだろう。試合中の出血などでHIVに感染するリスクはないのか。そうした恐怖や不安の感情が払拭できず、NBA復帰することは歓迎しない空気が選手の間に広がった。

マジックは現役復帰の意向をいったん撤回し、こうした経緯を憂慮したNBAは、HIV陽性者への誤解と偏見をなくすための選手向け教育に力を入れるようになった。

結果としてマジックは4年後の19961月、現役選手として念願のNBA復帰を果たし、以前は反対していた選手たちもその復帰を歓迎している。

必要な知識と情報を得る機会があり、同時にマジック・ジョンソンという名選手への尊敬もあって、復帰を拒む雰囲気は消えていたのだ。逆に言えば、知識と情報を伝える機会がなければ、マジックほどのスーパースターでも、理屈に合わない差別や偏見にさらされるということでもある。

 

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 マジックがNBAで現役に復帰する1年前には、ロス、ソウル両五輪の男子板飛び込みと高飛び込み2種目2連覇を果たした米国のグレッグ・ルガニスが自らのHIV感染を公表している。実は1994年夏にニューヨークでゲイゲームズ(性的少数者を対象にした総合競技大会)が開催された当時、出場選手の一人だったルガニスはすでに自らが同性愛者であることを明らかにしていた。そして翌95年に自伝の刊行やTVインタビューを通してHIV感染にも言及したのだ。

(注7 DIVING; Louganis, Olympic Champion, Says He Has AIDS

https://www.nytimes.com/1995/02/23/sports/diving-louganis-olympic-champion-says-he-has-aids.html

 

 ルガニスはソウル五輪の半年前に検査で感染を知り、五輪当時はAZTによる治療を受けていた。体調を崩して出場が困難になる事態も考え、米国オリンピック委員会には感染を伝えておきたいと考えたが、主治医とコーチに止められたという。

 ソウル五輪の予選では、競技中、飛び込み板に頭を強打するアクシデントがあった。この事故でルガニスは頭部から出血し、プールサイドですぐに手当てを受けている。

HIV感染の公表により、他の選手や手当にあたった人に感染しなかったのかということが、7年も後になって話題になった。

ただし、1995年の公表時点ではすでに、そのリスクはゼロか無視できるレベルという医学的評価が定着していた。ソウル五輪に限らず、現実にプールで出血したことから他の人にHIVが感染したという報告もこれまで一件もない。

 IOCファクトシートにもあるように『HIV陽性のスポーツマン、スポーツウーマンの参加は、HIVを特別視せず、偏見と闘ううえで貴重である』ということが広く社会的な共通認識となっていくには、マジックやルガニスのような事例の積み重ねが必要だった。

カミングアウトはあくまで本人の判断であり、他から強いられるものではないが、2人の行動は具体的に多くの人を勇気づけ、HIV/エイズ対策への関心を高め、結果としてスポーツを愛する多数の若い人たちの感染を防ぐことにもなった。この点は評価し、感謝もしておきたい。

 マジック・ジョンソンに関する最近の話題についても少し付け加えておこう。彼は2年前から古巣レイカーズの球団社長を務めていたが、今年(2019年)49日、その球団社長を辞任すると突然、発表した。

(注8)『レイカーズ マジック・ジョンソン球団社長が電撃辞任』(スポニチ  

www.sponichi.co.jp

 辞任が日本のスポーツ新聞にも取り上げられるほどのニュースであるということは、現役時代のマジックがいかに傑出したプレーヤーだったかを示すものだろう。ここではそれと同時に1991年にHIV感染が判明したスポーツ選手が、いまなおビジネスの第一線で活躍しているという事実にも注目しておきたい。感染の判明からすでに28年もたっているのだ。

 マジック・ジョンソン1991117日に記者会見でHIV感染を公表してから17日後の1124日には『クィーン』のフレディ・マーキュリーエイズで死去している。初期のエイズ対策を支えてきたHIV陽性者グループの指導者や著名人をはじめ多数の人が相次いで亡くなっていく。そうした厳しい現実は治療へのアクセスが比較的、高かった先進諸国でも、その後しばらくは続いた。

 そうした中で、おそらく全米、そして世界中のファンも、マジックがこれほど長く、社会生活を続けていけるとは思っていなかっただろう。日本でも当時、HIV感染が判明し、いまも社会的な活動を続けているHIV陽性者を個人的には何人か知っている。

 いくつになっても未熟な性格なせいか、会えば批判的な発言や嫌味ともとられかねない余分なひと言がついつ口をついてしまうこともないことはないが、心の中では涙が出るほどそのことがうれしい。時々、グッと言葉が詰まって人前で涙を流してしまうこともある。課題はまだまだ山積しているとはいえ、HIV治療が大きな進歩を遂げてきたことの具体的な証というべきだろう。