「結核に関する国連総会ハイレベル会合」に向けた記者ブリーフィング(8月30日、日本記者クラブ)報告の続きです。世界の首脳が集まり、いま結核をテーマに会合を開くことがどうして必要なのでしょうか。
結核は昔からある病気です。日本の場合、戦後の早い時期までは「国民病」と言われていました。国際基準で見ると、日本はいまなお中蔓延国のカテゴリーに入るそうで、楽観や油断は禁物ですが、それでも以前ほど流行が広がっているわけではありません。結核対策は戦後の保健政策の目覚ましい成果のひとつです。
ただし、世界的な結核の流行はいまなお、極めて深刻です。ブリーフィングでは公益財団法人結核予防会結核研究所の加藤誠也所長が、国内および国外の結核流行の概況について説明しました。
結核は2016年現在、世界で毎年、推定1040万人が新たに発病し、年間約130万人が死亡しています。ただし、この130万人にはHIVと結核に重感染して死亡したHIV陽性者37万人が含まれていないので、HIV陽性の死者数も含めると約170万人となります。
心臓病やがんなどを含めたすべての死亡原因でみても結核は世界の十大死因に入り、単一では死者数が最も多い感染症です。以前はHIV/エイズが最も死者の多い感染症だったのですが、抗レトロウイルス治療の普及により、エイズ関連の疾病による死者数は年間100万人前後に減っています。
それに比べ、治療薬があるのに、結核の死者数は期待されたほどには減少しておらず、エイズにかわって最大の死者を出す感染症となったのです。最近は薬剤耐性結核や超薬剤耐性結核の流行も深刻な課題となっています。
ここで大急ぎで注釈をつけなければならないのは、HIV/エイズ関連の死者数についても大きく減少したとはいえ、年間約100万人が亡くなっています。新規感染も年間200万人近いのです。とても「エイズはもうほどほどにして、次は結核だ」といえる状態ではありません。新規のHIV感染者数もエイズ関連の死者数も何とか減少軌道には乗ってきたということで、ここで世界が「もういいだろう」と思ってしまえば、再び流行は拡大し始めるでしょう。減りだしたかなという手ごたえがあった時こそが正念場なのです。
しかも、アフリカなどでは、HIVと結核の重感染者も少なくありません。HIVに感染し、結核にもかかっている人の推定死亡数は年間37万人に達しています。また、HIV/エイズ対策の観点からみると、結核はHIV陽性者の最大の死亡原因です。HIV/エイズ対策上も結核対策は重要です。「エイズはもういいだろう」などとは到底、言えないのと同様、「結核はほどほどにして、もっとエイズ対策に力を入れよう」ということもできません。両方とも大切です。ほどほどでいい状態ではありません。HIV/エイズと結核の対策には相乗効果を生み出すインテグレーション(統合)が必要です。
ということで、HIV/エイズ対策からの牽制球も投げたうえで話を進めましょう。
世界保健機関(WHO)は2015年からEnd-TB戦略を打ち出しています。2035年までに結核による死亡者を95%減らす、結核罹患率を90%減らす、結核医療費に悩まされる世帯をなくすという3つの目標の実現を目指しているのです。
そのためには、(1)統合された患者中心のケアと予防、(2)骨太の政策と支援システム、(3)研究と技術革新の強化が必要ですということで、この3本柱の目標は、よく考えてみるとHIV/エイズ対策でも指摘されていることです。つまり、世界の感染症対策の基本的な考え方には共通の基盤があります。その最たるものが「患者中心」であり、「誰も取り残さない」という持続可能な開発目標(SDGs)にも示されている基本理念です。
患者中心というのはつまり、利用者が使いやすいということですね。そもそも利用者に苦痛を強いるシステムがあったとして(実は、実際にあるけど)、それを利用したいという人はいません・・・とまでは言い切れないけれど、あまりいないのではないでしょうか。ごくまっとうな理念がなかなか実践されないということは、他の分野でもうんざりするほどありますが、だからと言って理念の旗を降ろしていいことにはならない。世界はまあ、そんな状態です。
では、日本はどうかというと、2016年現在の結核の罹患率が人口10万人あたり13.3人で、中蔓延国の状態です。人口10万人あたり10.0人以下が低蔓延国なので、もうひと息です。2020年に低蔓延国の仲間入りをすることが当面の目標です。
欧米はとっくの昔に低蔓延国なのに、どうして日本は・・・という疑問が出てきますね。加藤所長は「出発点が違う」と説明します。
かつて日本の結核の流行はそれほど深刻でした。数々の文学作品にも結核で亡くなる人が登場します。宮崎駿監督の『風立ちぬ』でもヒロインが結核を患い療養生活を続けていました。そうした高蔓延の状態から1965年以降、毎年平均10%以上の罹患率の減少を達成する時期が続き、目覚ましい成果を経て、現在のもう一息で低蔓延国までこぎつけています。
そこには地域の保健所やお医者さんたちの地道な努力もあっただろうし、患者の皆さんがきちんと闘病生活に向き合い、それを家族や周囲の人が支えてきたという事情もあったでしょう。加えて、政策的観点から言えば、結核の治療の公費負担に踏み切ったこと、国民皆保険制度が実現したことがあげられます。いま保健分野における世界の最も大きな共通課題であるユニバーサル・ヘルス・カバレッジ(UHC)の重要性を説得的に示す事例でもあります
その日本のノウハウはおそらく、いま結核の流行に苦しむアフリカやアジアの低・中所得国にとっても貴重な財産として共有可能でしょう。個々の条件が異なるのでそのまま当てはめることはできないにしても、応用可能なヒントはたくさんあるはずです。日本がハイレベル会合の共同ファシリテーターとなったのも故なきことではなかったと改めて思い至ります。
ただし、ここで変な先輩風を吹かせるのではなく、いまなお中蔓延国でもある現実に謙虚に向き合うこともまた大切です。