極私的『BPM』試写会報告 エイズと社会ウェブ版312

 TOKYO AIDS WEEKS 2017(東京エイズウィークス)のオープニングイベントとして、映画『BPM (Beats Per Minute)』の特別試写会が23日夜、なかのZEROホールで開かれました。

 1990年代前半のACT UP パリの活動の様子を描いた映画です。といってもノンフィクションではありません。俳優さんがそれぞれの役を演じるフィクションの映画なのですが、監督がACT UPのメンバーだったということもあって、かなり当時の活動がリアルに伝わってくる印象です。東京エイズウィークスのサイトには次のように紹介されています。

aidsweeks.tokyo

 『第70カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞し、第90アカデミー賞外国語映画部門フランス代表にも選出された話題作。舞台は1990年代初めのパリ。エイズ発症者やHIV感染者への差別や不当な扱いに抗議し、政府や製薬会社などへ変革に挑んだ実在の団体「ACT UP Paris」の活動を通して、若者たちの恋と人生の輝きを描く。ACT UPのメンバーだったという監督自身の経験が物語のベースとなっている。明日をも知れぬ命を抱える主人公の葛藤、感染者を一人でも減らしたい、友人の命を助けたいという情熱、恋人との限りある愛……。生と死、理想と現実の狭間で揺れ動きながらも、強く生きる若者たちの生き生きとした表情や行動が、力強くエモーショナルな映像と共に綴られる、感動作』

 

 その通り、感動しました・・・ということで終わりにしては申し訳ないので、少し補足しておきます。ここで描かれている「若者たちの恋」は男性同士の恋です。主人公となる2人の男性はいずれもACT UPメンバーで、活動を通して知り合い、ひかれあい、その2人の性行為の場面もかなり長く(と私は思いました。ただし、ゲイメディアの編集者にお聞きすると、わりとさらっと描いていましたねということですが)描かれています。

 個人的には、その場面はできればパスしたい、ビデオだったら早送りしちゃうだろうななどと感じたのですが、その偏見に根差した感じ方自体が当時のACT UPのアクティビストの怒りの源の一つだったのかもしれません。したがって、手前勝手ながら2017年も問題は依然、継続しているということを改めて自覚しなければならない描写でもありました。

 もう少し、個人的な話が続いて恐縮ですが、ACT UPパリの活動については、私はほとんど知らず、メンバーも知りません。ただし、ACT UPニューヨークには1994年から96年まで、毎週月曜日の夜に開かれるミーティングにたびたび顔を出していたので、当時、親しくなったアクティビストも何人かはいます。

 その記憶に照らしてみると、ミーティングの様子などは非常によく雰囲気を伝えているように思いました。おそらく、実際に交わされていたミーティングでのやりとりや製薬会社に対する抗議行動、街頭行動などは、記録映画ではありませんが、かなり忠実に再現されているのではないでしょうか。

 そこに性描写も含む個人の生活や感情も織り込んで、時代を伝えるにはフィクションという手法が必要だったのではないか。フィクションの方が伝えるべき現実をよりリアルに伝えられるということも、表現の世界においてはありうるのではないか。つたない言い方ですが、多少なりともHIV/エイズの当時の現実に触れていたものとして、この映画の魅力はそうした点にあるのではないかと思います。

 上映後の大塚隆史さん、山田創平さん、生島嗣さんのトークでも、そのような趣旨のことをもっと的確な表現で伝えておられたように思い、勝手に納得しています。

 

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(左から、生島さん、BPMのポスター、大塚さん、山田さん。トーク終了後、メディア向けにポーズをとっていただきました。映画の公開は2018年3月24日から)

 

 ACT UPニューヨークは1987年に創設され、翌1988年にはACT UPパリが活動を開始しています。映画で取り上げられているのは1992年あたりでしょうか(ミーティングの場面で、ベルリンで発表するのなら1年も待たなければならないぞ・・・といった発言がありました)。ベルリンは1993年の第9回国際エイズ会議のことでしょうね。横浜の第10回国際エイズ会議の1年前なので、ああ、あのころ・・・と思い出す方もいらっしゃるのではないかと思います。

 ACT UPの怒りの源泉は、何よりも周囲の人が次々に死んでいくことでした。その怒りを怒りとして感じ、伝えていくには、自分と同じように怒りを感じている人がいるということを知らなければならない。

 大塚さんのパートナーは1988年にHIVの感染が分かり、89年に亡くなっています。当時の大塚さんが感じたのは、怒りよりも、ただただ知られるのが怖いという思いでした。映画を観て「怒れるというのはすごいなあ」と改めて思い、ACT UPの行動については「仲間がいたから怒れた」と感じたそうです。

 またまた私の感想で恐縮ですが、ACT UP90年代的な活動であり、その使命はすでに終えたという印象があります。しかし、そう感じるのは誤りかもしれません。山田さんによると、ACT UPはいまも活動を続けています。山田さん自身が今年、ニューヨークを訪れた時に定例のミーティング(いまは月1回だそうです)に参加し、そのときの様子も『BPM』で描かれているミーティングとよく似ていたそうです。

山田さんもACT UPの怒りに注目し「たくさんの人がいて、だからこそ怒れる。孤立していては怒れない」と語っていました。

ところで、日本ではどうなのか、という話になりますが、この日のトークでは血液製剤で感染した血友病の人たちの怒りが、国内のエイズ対策を大きく変えた点が指摘されていました。

またしても個人の感想になりますが、もちろん、それを否定するつもりはありません。ただし、それと同時に、1994年の第10回国際エイズ会議(横浜)、2005年の第7回アジア太平洋地域エイズ国際会議(神戸)という2つの大会議の準備過程では、様々な変革がありました。その源泉になったものも、静かではありますが、粘り強い怒りの持続(何に対してかということは、あえて言いません)だったのではないかとひそかに思っています。

あれか、これかではなく、いろいろな人がいろいろな動機や事情、立場から、あるいは立場を超えて動き、それが交わったり、反発しあったり、ああ、そうだったのかと後から気が付いたり・・・ということを繰り返して現在があります。

もちろん、「現在」は常に一つの到達点であると同時に途中経過でもあるので、過去形でのみ語ることはできません。昔はよかったともいえません。逆に、いかにひどかったかといったことを一方的に並べ立てるのも不当です。できること、できないこと、できたけどやらないで現在に至っていること、それでも忘れちゃったことが、いろいろあると個人的には思う。ますます私的な感想になってしまいましたが、いよいよ明日から(もう今日か)第31回日本エイズ学会が始まります。早く寝なくては(一部、目が覚めてから加筆)。