見ようとすれば見えるものへの対応 エイズと社会ウエブ版271 

 昨日(6月1日)はCNN制作の『UNSEEN ENEMY(グローバル時代に潜む脅威:感染症時代のパンデミック)」というドキュメンタリーの上映会がありました。90分ぐらいの映画の短縮バージョン(30分)だそうです。 

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 『グローバリゼーションが進む現代においては、ひとたび地域的な感染症が発生すれば、瞬く間に世界各地に感染が広がり、世界的な流行「パンデミック」につながり、社会・経済・公衆衛生に与える甚大な影響が懸念されています』ということで、エボラ、ジカ熱、インフルエンザなど最近の新興、再興感染症の流行事例を丹念に取り上げ、報告しています。
 開発が進めば、新たな病原体との接点が増え、未知の感染症に遭遇するリスクもそれだけ高まる。だから開発はやめようというかたちには、いまの世界は動いていません。
 開発に伴って予想されるリスクを把握し、どのようなリスクにどのように対応していくかということは、持続可能な開発目標(SDGs)において共有された世界の共通課題でもあります。そのためには過去の事例、あるいは現在進行形の事例を検証し、次への備えをしていく必要があります。
 感染症の流行は発生すると、世界中に懸念が広がり、不安のパンデミックという現象が流行地から遠く離れた場所で派生する一方で、いったん流行がおさまると、さっぱりとその不安も忘れてしまうという側面もあります。社会的なコミュニケーションも大きな課題であり、個人的なことをいえば、そうした観点は実は私の主要な関心(専門とは言わないまでも)領域でもあります。
 本当は起きてからでは遅い。危機が起きていない、あるいは起きているけれどUNSEEN(不可視)の段階での対応が重要なので、マスメディアを通じて、いわゆる「平時」の社会にもこうした情報がインプットされることは大いに意義深いといわなければなりません。
 短縮版でなく、ロングバージョンの方はそう遠くない時期にNHKで放映予定があるということでした。大いに話題になってほしいですね。
 上映後のトークセッションでは、エボラウイルスの発見者の一人であり、国連合同エイズ計画(UNAIDS)のピーター・ピオット博士も同趣旨のお話をされていました(つまり、私がここで書いていることも博士の受け売りという側面があることは否定できませんが、なにせ博士の著書の訳者なもんで・・・)。
 その中で博士が、次のリスクとして最も警戒しているのは呼吸器系の感染症だということです。確かに新型インフルエンザ、SARS重症急性呼吸器症候群)、MERS(中東呼吸器症候群)など、21世紀に入ってから世界は何度もぐらっ、ぐらっと来ています。まだ把握されていない感染症がどこかで広がり始める可能性もあります。
 問題は、来るかどうかではなく、いつ来るかだという指摘もあります。

 博士はまた、新たな感染症の流行について「アウトブレークを防ぐことはできない。ただし、流行を拡大させないことは可能だ」ともおっしゃっていました(一応、お断りしておくと、見栄をはって同時通訳の機会を使わずに聞いていたので、聞き間違いの可能性もあり)。

 これには、医科学的な研究ももちろん大切ですが、共通課題として感染症の流行拡大要因を社会的な対応によって、あるいはそのための基盤整備によって、なくしていくという手法、ないしはそれを可能にする社会的な共通理解といったものが極めて重要になってきます。
 ただし、まだ来ていないもの、いつくるか分からないものに恒常的に予算と人と時間をかけることが持続可能なのかどうかという議論も一方ではあります。「もういいだろう」「とりあえずはいいだろう」ということになりがちです。
 これも個人的な意見なので、だれも聞いてはくれないでしょうが、そうなると、いま起きている流行、現在進行形の(見ようとすれば見える)流行への対応をきちんと整えることで、それがUNSEENな何かへの備えになる、そうした戦略的な安定性を持続可能性につなげることが求められるのではないか。
 具体的には、HIV/エイズや毎年のインフルエンザといった現在進行形の感染症対策の意味を、日常性の中からそうした課題に結びつけていけるような戦略的持続可能性が必要ではないかと思っています。たとえば院内感染防止策として医療機関で広く行われている(はずの)スタンダードプリコーション(標準的予防策)なども、HIV陽性者に対する診療拒否をどうすれば回避できるかというエイズ対策の経験の中から生まれた汎用性の高い危機管理策です。

 そうしたことも含め、これまでの経験から、いま(そしてこれからも)しっかりと強調しておかなければならないのは、何か未知の病気のアウトブレークがあったとしても、その病気にかかった人、あるいはその周囲の人は、得体の知れないモンスターなどでは決してなく、その病気と最前線で闘っている人たちであり、その人たちへの治療や支援の提供こそが対策上最も重要な社会的課題になるということです。

 報道もこの基本線を外すことのないようなかたちで行うことができるかどうか。流行が報じられたとたん、世の中の雰囲気ががらっと変わってしまい、報道もその変化に迎合するように変わっていくといった経験もなかったわけではないので、どうなるのかは実はそのときになってみないと分かりません。

 したがって、いま偉そうなことを言ってもしょうがないのですが、勝負どころであることは認識しておきたいですね。
 蛇足ながら、皆さん、何かの機会に『UNSEEN ENEMY』を見る機会がおありでしたら「そうか、これはピオット博士の『NO TIME TO LOSE』も読んでおかなければいけませんね」と思っていただけると幸いです。手回しの良いことに、日本語版もちゃんと出版されています(一応、これは宣伝)。