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♪あのころキミは~ エイズと社会ウェブ版 261

エイズと社会 国際感染症関係論

 エイズ対策の観点からすると、2011年は「予防としての治療」や「曝露前予防投薬(PrEP)」などが大きく注目され、話題になった年でした。3年前にブログ移転に伴うサルベージ作業で回収した2011年8月11日の感想文です。最近、自分が書いていることは当時と比べ変わったのか、変わっていないのか。個人的にはあまり変わっていないように思うので、またかよとうんざりされる方もいらっしゃるかもしれませんが、改めてこちらのブログに掲載しておきます。何でもどんどん忘れてしまうもので・・・。

 《2000年以降はようやく世界がエイズ対策に本腰を入れて取り組むようになり、十分とは言えないまでも、それなりに困難な現実に対応するための資金投資もなされてきた。そうした中で、日本国内では、保健分野の国際援助関係者の間ですら、内外のエイズ対策に資金が投じられることを秘かに苦々しく思い、それでも「ま、いまはエイズを取り上げないと資金が確保できないから」といった「しぶしぶエイズ対策」の発言がため息まじりに交わされる。そうした場面にたまたま遭遇して、当惑した記憶が少なくとも個人的にはある》

 こういうことを書いていたら、そりゃ嫌われるわなと改めて納得。騒ぎが大きくなるとどこかからやってきて、さっさといただくものだけいただいたら、いつの間にかいなくなっている人たちにはこの30年の間、波が寄せては引くように、ずいぶんお会いしてきました。ま、これはHIV/エイズに限らない話なのでしょうが・・・。

 ♪あの頃キミはぁ、若かった~といいますか。いまは、どこで、なにをまた、発言されているのかなあと振り返りながら、それもまた懐かしい思い出のように感じられたりして・・・。

 記憶力は衰えても、性格はどうも基本的に変わらないようですね。

 

◎予防としての治療に関する感想  (2011.8.1)

 曝露前予防投薬(PrEP)に関連する私の単なる個人的な感想に過ぎないのだが、保健基盤強化の名のもとにHIV/エイズ対策をマイナーなものとして位置づけようとする発想がここ数年、顕著に見られる。ただし、そのもとになる感情というものは旧来の医療界に根強くあったのではないか。それはエイズ対策がいわゆる性的少数者や薬物使用者、セックスワーカーといったHIV感染の高いリスクにさらされやすく、エイズの流行から重大な影響を受ける人たちへの支援が重要な構成要素になっていることへの拒絶の意識も含めて、流行初期の20年間、HIV/エイズ対策が軽視されてきたことの主要因のひとつだったようにも思う。

 2000年以降はようやく世界がエイズ対策に本腰を入れて取り組むようになり、十分とは言えないまでも、それなりに困難な現実に対応するための資金投資もなされてきた。そうした中で、日本国内では、保健分野の国際援助関係者の間ですら、内外のエイズ対策に資金が投じられることを秘かに苦々しく思い、それでも「ま、いまはエイズを取り上げないと資金が確保できないから」といった「しぶしぶエイズ対策」の発言がため息まじりに交わされる。そうした場面にたまたま遭遇して、当惑した記憶が少なくとも個人的にはある。

 そのような心に秘めた拒絶感情がおそらくあり、また、近い将来におけるワクチン開発の展望がなかなか開けないといった事情も加わって、HIV/エイズ対策に熱心に取り組んできた医療関係者の間では、「エイズ対策ばかりに資金を投じてどうするの」という批判の圧力をひしひしと感じ、目先の成果の強調を迫られる短期成果主義的な発想から、抗レトロウイルス治療が普及すれば流行を終息させることができるといった物語に走ってしまいたくなってしまったのではないだろうか。すぐに解決策を示せるような「魔法の銃弾」はないという現実に耐えつつ、よりましな選択肢を探っていく。いま「予防としての治療」に過剰な期待が盛り上がってしまっているのも、そうした困難な対応の中での揺れの一つではないかと私には感じられる。

 治療の普及に力を入れたこの10年間の努力を通し、国際的なエイズ対策にようやく希望が見え始めてきたことで、長期にわたって持続的な努力が必要なことはむしろよりはっきりしたわけだが、その時期にリーマンショックで国際的な援助資金が縮小するという動きが重なった。さらに有力な資金拠出国の一翼を担ってきた日本が東日本大震災で苦境に陥っているという試練も新たに加わっている。日本要因の影響がどう出てくるのか、それはまだ、はっきりと見えていない。これからじわじわと影響が顕在化してくる可能性もある。日本が立ち直ることは国際保健政策のレベルでも非常に大きな21世紀の課題なのではないだろうか。