読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

復刻シリーズ 『それでも世界は ラヴズ・ボディ6 エイズと社会ウエブ版36 』

復刻シリーズ

 ビギナーズ鎌倉の旧ブログはいまはもう消えてしまいましたが、いくつかの原稿は引っ越しの際に大急ぎでサルベージしました。その一つ2010年に東京都写真美術館でラヴズ・ボディという作品展が開かれた際のレポートです。

 Facebookで一度、再掲載したのですが、それも見つけるのが困難になってしまったので、改めて掲載します。

 復刻シリーズは時々、思い出したように昔の原稿を発掘して紹介します。私のアーカイブというか備忘録的なシリーズですが、時々、掘り出し物があるかもしれません。よろしく。

 

◎それでも世界は ラヴズ・ボディ6 エイズと社会ウエブ版36 (2010.10.31)

 エイズアクティビストの張由紀夫は学生時代の1993年、京都のギャラリーでアルバイトをしたのがきっかけになり、ダムタイプというアーティストグループと知り合った。その中心的メンバーである古橋悌二が同性愛者である自らのセクシャリティHIV感染のカミングアウトを行っていたことが、彼に強い影響を与えた。古橋がエイズによる敗血症で95年に亡くなり、それを看取ったことから「バトンを受け取ったような気持ちで、今日まで活動を続けてきた」と張由紀夫は語っている。

 

ハスラー・アキラは99年ごろから数々の作品を発表しているアーティストであり、実は張由紀夫と同一人物である。もちろん、エイズアクティビストとしての日常とアーティストの活動が切り離されて(あるいは切り分けられて)存在しているわけではないし、その作品も21世紀初頭の日本の現実の中で、エイズの流行に直面するということがどういうことなのかを色濃く反映しているものが多い。

 

ただし、2つの名前を持つ存在が完全に同一であるのかと改めて問われると、そこには微妙な差異があるような気もしてくる。たとえば、張由紀夫とハスラー・アキラとが有する人のネットワークは、重なり合うようでいて同一ではなく、そのネットワークの豊潤さからあえて焦点を求めようとしても、それが一人の人物に収斂していくとは限らない。同一の人物によって形成されているネットワークでありながら、2つの焦点を持つ楕円のような構造がそこには存在するのではないだろうか。あくまで仮定の上での話ではあるが、東京都写真美術館の『ラヴズ・ボディ』展で張由紀夫/ハスラー・アキラの作品が連名で提示されているのも、そうした微妙な楕円形感覚があるからだろう。

 

 厚労省エイズ動向委員会報告では、国内の新規HIV感染者報告の約7割、エイズ患者報告の約5割は男性の同性間の性行為が感染経路であると考えられている。おそらくは報告が示唆する流行の現状に対応するためにということなのだろうが、張由紀夫によると、HIV/エイズに関連する政府の予算も、個別施策層としてのゲイコミュニティを対象にした予算と一般の予算が切り分けられ、「一般の中にはゲイが存在していないと考えられている」という。より現実に即した対策を目指すための手法が、政策の意図を超えて、あるいは政策の意図に内在化されたかたちで、性的な少数者に対する新たな排除の感覚を生み出していく。エイズアクティビズムの中で張由紀夫が感じるそうした危惧を踏まえ、ハスラー・アキラは「今回の展覧会が開催されたことの意義」を強調しつつ、次のように語る。

 

 「昨年の新型インフルエンザの流行に対する社会の対応は80年代のエイズパニックと同じなのではないかと感じざるを得ない。誰が犯人かを捜しだして排除する。感染症の流行に対するこのような感覚において日本の社会はほとんど変わっていない。その状況が怖い。過剰なまでに予防が強調され、無菌室のような空間や時間を作ることを理想とするような怖さを感じた」

 

 人から人へと感染する疾病の流行は、コミュニケーションと深くかかわりのある現象でもある。つまり、社会の中に存在する人が他の人とまったく関係を持たない状況がありうるとすれば、病原体の感染もまた成立しない。RED STRING(赤い糸)と名付けられたハスラー・アキラの作品の前に立つと、「それでいいのか」と問いかけられ、一瞬の困惑に投げ込まれる。たとえば、抱き合って横になっている男性2人の人形は、指と指とを絡めた手のまさにその指先のみが赤く塗られ、血の色を連想させる。エイズの病原ウイルスであるHIV(ヒト免疫不全ウイルス)は日常の生活では感染しませんということが予防啓発のメッセージとしてしばしば語られる。ここでいう「日常の生活」には「性行為を除いては」という注釈が必要だろうが、それは別にしても、日常の生活で絶対に感染は起きないのかと詰め寄られれば、「そんなことはありません」と答えざるを得ない。指先に出血を伴うような傷口がお互いにあれば、握手で感染することだってありうるではないか。

 

 あるいは、男女が並んで歩いている人形がある。その2体の人形を結ぶ赤くて細い糸はさらに後方に伸び、後をついてくる犬につながっている。てっきり若いカップルが犬を連れて散歩をしているところではないかと思って犬の人形をよく見ると、赤い糸は犬の首輪につながれているのではなく、犬が端をくわえている。つまり、犬は細く伸びた血の糸を噛んでいるのだ。のどかに見える散歩の風景が一転してまがまがしい情景に変化していく。

(注)作家本人に確認したら、これは散歩ではなく台所に立っているところで、人形は玉ねぎと包丁を持っているのだという。まいったね。アートのたくらみについていくのはなかなか大変だ。ただし、台所の男女もまた、まがまがしく見えるものではないので、血の糸が介在して生まれる状況の変化は散歩の想定と基本的に変わらないと考えていいだろう。

 

 HIV感染を心配する人から相談を受けた経験がある人の話では、抱き合うだけで感染することはありませんよと説明しても、「万が一、こういうことがあったら」「それでも万が一・・・」と容易に納得してもらえないことがまれにあるという。万が一のケースを想定していけば、もちろん日常の生活の中でもHIVに感染する可能性はある。その万が一すら起きないように、絶対の安全の保障を世の中が求め始めたらどうなるのか。「感染が起きるということは、人々が出会ったり、触れ合ったり、何がしか関係を持つことです。それを否定することは、人間の社会に闇を作ることではないか」と張由紀夫/ハスラー・アキラはいう。RED STRINGとともに『ラヴズ・ボディ』展に出品されているビデオ作品の中で、彼は次のようなメッセージも送り出している。

 

だけど忘れないで

それでも世界は

愛に溢れているんだ

 

 HIV治療の進歩と予防の重要性を強調するあまり、エイズの流行という現象のすべてを技術的に処理できるといわんばかりの言説をためらいもなく披瀝してはばからない世の中だからこそ、韜晦に逃れることなく、「触れ合いを肯定的に伝えたい」という張由紀夫/ハスラー・アキラの直截なメッセージは貴重である。