国際公務員のアクティビスト魂 東京で世界エイズデーを過ごす

 本日(12月13日)付のビジネスアイ紙に掲載されたコラムです。

ところで、コラムの内容からは少し離れますが、リチャードはHIV感染予防の有効策として抗レトロウイルス薬の曝露前予防服薬(PrEP)の普及に非常に熱心な印象でした。私は日本国内におけるPrEP導入に批判的であり、それでもパンドラの筺のふたが開いちゃった以上、何らかの対応は必要かなと思っています。したがって、何が何でも対立というわけではありませんが、PrEPに前のめりになっているリチャードの姿勢には、ちょっと困ったなという印象も今回は受けました。

 もちろん、私が常に正しいわけではなく(常に間違えているということはあるかもしれませんが、そこまで後ろ向きになることもないかな)、それはそれで様々な動きが出てくる中でまた、判断していくとするかという感じではいます。がちがちの医学専門家コミュニティのお医者さんたちとリチャードのようなアクティビスト、ないしはゲイコミュニティの人たちがPrEP普及を求めて手を結んでいるかのような現在の状況は、どちらでもない立場の私には居心地が悪く、同床異夢がいつまで続くのだろうかと懐疑的にならざるを得ない面もあります。

このような事態が訪れようとは、1994年にも2001年にも想像できず、2005年当時ですら想像は困難でした。

ただし、現在のエイズ対策の現場では、私のような考え方の持ち主はむしろ圧倒的少数派かもしれません。でもまた、いつ風向きが変わるかもしれないという感じも一方ではあります。

話がおそろしく脱線してしまったので、ついでにもうひとつ脱線しておくと、こういう調子だからエイズ対策のキャンペーンなどで「正しい知識の普及」などとお題目のように唱えることは、極力、避けたいとも思います。とにかく「正しい」の内容が何年かするところころ変わっちゃうんだから・・・。

 ボブ・ディランノーベル文学賞を受賞しちゃったことだし、線路は続くよ・・・じゃなかった、時代は変わるよ、いつまでも、といったところでしょうか。

 繰り返しになりますが、コラムにはそういうことはまったく書いていません。

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 2016年12月2日(金)午後、コミュニティセンターaktaで開かれたセミナーの参加者と。車いすで駆けつけた長谷川博史さんの左がリチャード・ブルジンスキ氏。

 (注:コラムには写真は掲載されていません)

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国際公務員のアクティビスト魂 東京で世界エイズデーを過ごす

 http://www.sankeibiz.jp/macro/news/161213/mca1612130500009-n1.htm

 

 国連合同エイズ計画(UNAIDS)の人権・ジェンダー・予防・コミュニティ担当上級顧問、リチャード・ブルジンスキ氏は、今年の世界エイズデー(12月1日)を東京で過ごした。1日は「国際保健とエイズ問題」、翌2日は「エイズ対策とLGBTの現在」というセミナーにメーンゲストとして出席している。

 メインではなく末席に連なる参加者の一人だったが、私も2つのセミナーに出席した。1980年代から活躍してきた著名なエイズ・アクティビスト(活動家)が、いまは国際公務員として国連エイズ専門機関で働く。そのことに興味をひかれたからだ。

 カナダ出身のブルジンスキ氏は89年、世界各国の活動家とともに国際エイズ・サービス組織評議会(ICASO)を創設し、初代事務局長に就任。私が彼の名前を知ったのは、94年に横浜で第10回国際エイズ会議が開かれる少し前だった。

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 世界のエイズ対策関係者が集まるこの会議は当時、医療分野の専門家だけでなく、HIV陽性者やその支援に携わるNGOのメンバーも積極的に参加し、発言できる先駆的な学会へと進化しつつあった。

 ただし、日本国内にはそうした変化を嫌い、そんなものは医学の学会ではないと反発する医師も多かった。そうした抵抗勢力を抑え、会議を成功に導くことができたのは、もちろん国内の組織委員会関係者の多大な努力があったからだろう。

 だが、それと同時にICASOのブルジンスキ氏と世界HIV陽性者ネットワーク(GNP+)のドン・デ・ガニエ氏の2人が、積極的に会議を支援したことも大きかった。私は当時、海外勤務で日本にいなかったのだが、旧知のNGO関係者が繰り返しその様子を伝えてくれた覚えがある。

 2001年6月にはニューヨークで国連エイズ特別総会が開かれている。単独の疾病をテーマにした総会は国連史上、初めてで、私も取材する機会を得た。

 3日間の総会はコミットメント宣言の採択をめぐり、もめにもめた。宣言にはHIV感染の流行に大きな打撃を受けている人たちへの支援がうたわれていたが、具体的にそれがどんな人たちなのかを明示することには、強く反対する国もあったからだ。国内の法制度や社会的な価値観に抵触するという理由だった。

 文言をめぐる交渉は難航し、宣言の本文は結局、具体的なリストには言及しないことで妥協が成立した。

 ブルジンスキ氏は総会最終日にNGO代表として演説を行い、各国代表団に向かってこう述べている。

 《私たちがこの地球規模の流行に何らかの影響を与えたいのなら、HIV感染に最もバルナラブル(脆弱(ぜいじゃく))な人びとの特定をためらってはならない。あなたたちはその集団の名前を挙げることはできないと決めた。だが、私にはできる。そこには男性とセックスをする男性、注射薬物使用者、セックスワーカーが含まれている》

 宣言に盛り込まれなくても、総会演説は公式記録として残る。この演説により、国連エイズ対策の観点から男性同性愛者や薬物使用者、セックスワーカーへの支援の重要性を公式に認めることになった。

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 「バルナラブルな人びと」は現在、「キーポピュレーション」と呼ばれ、支援対象としてだけでなく、効果的なエイズ対策の担い手としても重視されている。その流れを生み出したアクティビスト中のアクティビストが、どうして国連機関で働くようになったのか。ブルジンスキ氏によると、UNAIDSのミシェル・シディベ事務局長からは「官僚になるのではなく、国連の中でアクティビストとして行動してほしい」と言って誘われた。7年前のことだ。なかなかの殺し文句ではないか。

 国連は加盟国の集合体であり、利害調整のために妥協が必要な場面もあれば、原則を貫く姿勢が求められることもある。

 しかも、来年は米トランプ政権が発足する。国際保健や性的少数者への対応を含むエイズ対策はその激震をどう乗り切っていくのか。東京で再会したのも何かの縁。リチャードのアクティビスト魂に注目しながらエイズ取材を続けてみたい。