もう一度、GIPAについて エイズと社会ウェブ版245

 GIPA原則の続きです。「やたらと文字ばっかり多い」試作品のスライドから2枚紹介します。まずは1994年12月のパリ・エイズサミットで参加42カ国の政府代表が発表したパリ宣言のGIPA言及部分です。

 

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  パリ宣言20周年の2014年12月1日にUNAIDSが公式サイトにParis Declaration+20として紹介したものを和訳しました。訳し間違いがあるといけないと思い、英文もあわせて載せたらかなり窮屈な印象になってしまいましたね。

 パリ・エイズサミットの4カ月前に横浜で開かれた第10回国際エイズ会議では、HIV陽性者やエイズ分野のNGO関係者の参加を促進するための窓口としてコミュニティ・リエゾン(連絡事務所)が事務局と同格の位置づけで開設されています。リエゾンの代表は「ぷれいす東京」の池上千寿子さんでした。海外からも国内からもたくさんのHIV陽性者が参加し、会場にはPWAラウンジも設けられました。HIV陽性者のより積極的なな参加(Greater Involvement)を目指す動きは着実に積み上げられ、そうした動きがパリ宣言に結実したと考えれば、GIPAに対する日本の貢献も小さくはありません。

 ただし、GIPAは当時、それほど大きく注目される原則だったわけではなかったという記憶も個人的にはあります。たくさんの人たちが日々の生活の中で困難を克服し、国際会議におけるその後のさまざまな議論も経て、時間の経過とともにだんだんと重みを増してきた原則ではないかと思います。

 

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  2枚目は、2007年のPolicy Briefで紹介されているボリビアHIV陽性者ネットワーク、グラシア・ビオレタ・ロス代表の談話です。「自らの感染が明らかになったら石をもって追われ、殺されてしまうような状態」は世界中のいたるところでありました。流行の初期段階では私もまた、石を手にしていた一人だったのではないかという残念な思いも個人的には否定できません。1987年当時の様子は『ピープル・ウィズ・エイズ』(1992年、太郎次郎社)に書きました。20年以上も前に出版された本なので、もう書店にはないでしょうが、少し大きな図書館にはあると思います。見かけたらぜひお読みください。

 東京・内幸町の日本記者クラブでは、9月7日(水)午後2時から、HIV/エイズをテーマに記者会見が開かれます。

 『国内のHIV陽性者を対象に大規模ウェブ調査を実施したFutures Japanプロジェクトの井上洋士代表(放送大学教授)と、その調査結果を踏まえ厚生労働省に要望書を提出した日本HIV陽性者ネットワークJaNP+の高久陽介代表が調査の概要について報告する』(日本記者クラブ会見案内から)

 GIPA原則の観点からも重要な会見ではないかと思います。この会見は事前に日本記者クラブ事務局に連絡しておけば、会員以外の方もオブザーバーとして出席可能なので、ご希望の方は事務局に問い合せてみてください。

 http://www.jnpc.or.jp/