【鎌倉海びより】125 歴史が流れる海街

 やっとこさっとこ暖かくなりましたね。暑さ寒さも・・・ということで、鎌倉駅前の長嶋家さんでももう、ぼたもちを売っているかな。3月15日(火)のSANKEI EXPRESSに掲載された連載コラム【鎌倉海びより】の125回目です。このコラムも残すところあと1回となりました。

【鎌倉海びより】125 歴史が流れる海街

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 鎌倉駅を出た江ノ電が最初に止まる和田塚駅は小さな無人駅だ。この駅から由比ケ浜海岸までは630メートル…。
 駅の南80メートルには駅名の由来にもなった和田塚がある。鎌倉時代の有力豪族、和田一族の滅亡の地とされる場所で、住宅街の中に石垣と古木がひっそりとたたずむ。
 その和田塚から海岸までは550メートル。実は自分で測ったわけではなく、和田塚の前にある案内表示をもとに足し算をすると駅から海岸までの距離になる=写真。 

 海に出る直前に海浜公園があり、そこで少し迂回(うかい)するが、それでも徒歩7、8分。春らしい気候になり、最近は町歩きを楽しむ人たちの姿もぐっと増えてきた。
 もう一回、写真を見ていただこう。和田塚鎌倉幕府の権力争いのすさまじさを伝える悲運の地。北へ250メートルの六地蔵は江戸時代のランドマークで、「夏草や兵どもが夢の跡」という松尾芭蕉の句碑も残されている。芭蕉がこの地でこの句を詠んだというわけではないが、どことなく夢の跡をしのばせる街角ではある。碑を建てた松尾百遊は江戸時代に鎌倉で旅亭「吾妻屋」を営んでいた人だという。
 江ノ電が鎌倉まで全線開通したのは明治43(1910)年、由比ケ浜に海水浴場ができたのは、それより27年も早い明治16年だった。政権の中枢があった鎌倉時代から江戸時代を経て近代、現代へと流れる歴史が街のあちらこちらに顔をのぞかせる。
 以前に紹介した映画『海街diary』が4日、日本アカデミー賞の作品、監督、撮影、照明各賞を受賞した。4部門受賞は今回の作品の中では最多だという。4姉妹を演じた女優陣も素晴らしかったが、それ以上にこの映画の主役は鎌倉という海街だったのではないか。そんなことを改めて感じさせる受賞結果でもある。