【湘南の風 古都の波】半世紀に一度の春を待つ

 

 遅ればせながら1月16日(土) のSANKEI EXPRESS紙に掲載された今月の【湘南の風 古都の波】です。それにしてもこんなに寒さが厳しくなるとは思いませんでした。渡辺照明記者の写真はこちらで。

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 暖かい年明けとなった。長谷の高徳院では、大晦日(おおみそか)の夜から年をまたいで本尊の国宝銅造阿弥陀如来坐像(ざぞう)がライトアップされた。
 与謝野晶子が「美男におわす」と詠んだ露座の大仏は鎌倉の代名詞といってもいいだろう。境内には歌碑も残されている。
 参拝券の裏には、その大仏造立の経緯が簡潔に記されていた。1252(建長4)年から10年前後の歳月をかけて造立されたとみられる。ただし、分かっていないことも多いようで「原型作者を含め、創建に関わる事情の多くは謎に包まれている」という。
 台座を含む高さが約13.4メートル、台座を除くと11.3メートル、重さは約121トン。かつては仏殿があったが、1334(建武元)年と1369(応安2)年の大風で損壊した…らしいということで、このあたりも断定は避けている。大仏の謎は、想像力をかき立てる。
 平成の夜空は元日でも光がけっこうにぎやかだ。飛行機も上空を通り過ぎていく。その中で穏やかに、そしてどっしりとした姿はひときわ印象深い。波乱の年明けになった2016年もなんとか無事に過ごせますようにと手を合わせる。
 門前の大仏通りでは『半世紀に一度 大仏様 平成の保存修理』と書かれた商店会のポスターが店先に張り出されている。「50年に一度の健康診断」と言われる保存修理が1月13日から始まった。修理期間は3月10日まで。大仏様は足場に囲まれ、お姿を見ることができなくなった。暖冬とはいえ、いつもの年にも増して春の訪れが待ち遠しい。

 ≪あまねく慈悲の心を≫
 高徳院から大仏通りを海岸方向に5分ほど歩くと長谷観音前の交差点に出る。その交差点を右折し、昔ながらの旅館や土産物店が並ぶ参道の正面が十一面観音菩薩像(長谷観音)で名高い長谷寺の山門だ。
 鎌倉の旧市街は海に面した南を除き、三方を小高い山に囲まれている。
 長谷寺の境内がある観音山も、丘と山の中間のような小高さで、その地形の一角を占めている。
 裾野の下境内から石段を上がる。由比ガ浜の海を一望する上境内に観音ミュージアムがオープンしたのは昨年10月18日のことだ。
 ご本尊が安置される観音堂の隣、以前は宝物館だった建物をリニューアルし、慈悲の心ですべてをあまねく無限に救済するという観音信仰を伝えるための最新の博物館が誕生した。
 総面積約380平方メートル、つまり115坪ほど。宝物館の建物の躯体(くたい)を残し、活用している。このため、博物館としては小ぶりだが、観音信仰を分かりやすく伝えられるよう、内部の設計には工夫をこらした。
 エントランスの床には蓮(はす)の花。視覚的に奥行きが感じられるようにするため、金色の壁面には少し雲がかかる。「観音様が蓮の花を持ち、浄土に迎え入れるところからスタートします」と学芸員の内山侑子さんが説明する。
 館内では、長谷観音の由来がわかるビデオアニメやタッチパネルによる展示解説などデジタル機器と映像演出を積極的に取り入れ、狭いスペースが逆に立体的な体感空間となった。
 1階の第一展示室には主に長谷寺の歴史を伝える文化財を展示。ご本尊・長谷観音の前に立っていた像高178.8センチの前立観音もミュージアム開館とともに第一展示室に移された。
 圧巻はその前立観音を半円形に囲む三十三応現身立像だろう。観世音菩薩は救済の対象に応じ、身を変じて姿を現すという。前立観音の周囲に並ぶ33体の応現身立像は、穏やかな仏身や童女身から険しい表情の夜叉身、執金剛身まで実に多様である。
 『その救済は人間界のみならず天上界・地獄界・飢餓界・畜生界など普(あまね)く及ぶため、様々な像容で表されます』(所蔵品図録より)という。「えっ、すべて観音様なの?」と思わず声を上げてしまいそうだ。
 前立観音の背後、2階まで吹き抜けになった壁面には像高9.18メートルというご本尊の映像。ただし、光背は映像ではなく、関東大震災で崩れ落ちた旧光背の実物だ。2階に上がると、その光背もぐっと近くに寄って見ることができる。これも空間的制限を生かす逆転の発想の成果だろう。