ちょっと遅くなりましたが、土曜日(19日)のExpress紙に掲載された【湘南の風 古都の波】です。最後の展覧会開催中の鎌倉近代美術館(神奈川県立近代美術館 鎌倉)を取材しました。中心は記事よりも渡辺照明記者の写真です。こちらでご覧下さい。
http://www.sankeibiz.jp/express/news/151219/exg1512191030002-n1.htm
一枚だけ、小さく拝借。
【湘南の風 古都の波】戦後を照らし揺らめく光
思いのほか暖かい晩秋だったせいか、七五三が過ぎた後も鶴岡八幡宮の境内にはたくさんの人が訪れていた。鳥居をくぐると太鼓橋の両側に2つの池。東が源氏、西が平家の源平池だ。
大きい方の源氏池には島が3つ。この数字には意味があり、3は「産」に通じて源氏が栄えるという。平家池は源氏池より小さいのに島の数が1つ多い。4はつまり何に通じるのか。
源平の争いが生み出した怨念の深さを偲(しの)ばせる逸話ではあるが、いまはもう、時が洗い流している。21世紀の平家池にはきらめくばかりの秋の陽が降り注いでいた。池に張り出す「神奈川県立近代美術館 鎌倉」のテラスにも水面の揺らめきが反射し、ひさしの天井は波模様に揺れている。
この美術館は戦後間もない1951年11月17日、日本で最初の公立の近代美術館として開館した。設計者の坂倉準三はフランスでル・コルビュジエに師事し、37年のパリ万国博覧会では日本館で建築部門グランプリを受賞した名建築家。建物自体が日本を代表するモダニズム建築として知られている。
池から立ち上がるように並ぶテラスの列柱は、境内の自然や伝統と融合し、いまもなお新鮮で美しい。
美術館ではいま『鎌倉からはじまった。1951-2016』という展覧会シリーズのパート3が開かれている。来年1月31日に展覧会が終わると3月末に敷地は鶴岡八幡宮に返され、美術館は今後、葉山館と鎌倉別館の2館体制で活動を続ける。
わが国初の公立近代美術館が65年の歴史に幕を閉じること自体、残念ではあるが、建物は鶴岡八幡宮に引き継がれ、保存される。新たな利用法も含めたこれからの歴史に期待したい。
≪蓄積生かし、次のステージへ≫
鎌倉近代美術館(神奈川県立近代美術館 鎌倉)の最後を飾る美術展『鎌倉からはじまった。1951-2016』は今年春から3部構成で続けられてきた。
パート1(4月11日~6月21日)のタイトルが『1985-2016近代美術館のこれから』。パート2(7月4日~10月4日)は『1966-1984発信する近代美術館』。
そして開催中のパート3(10月17日~2016年1月31日)が『1951-1965「鎌倉近代美術館」誕生』。つまり、戦後という時代をさかのぼっていく構成だ。あくまで私の個人的な感想にすぎないが、歴史を閉じることに対する美術館スタッフの並々ならぬ決意と熱意(あえて想像すればそれに加えて小さな失意)も感じられる。
美術館の公式サイトには《「カマキン」最後の展覧会》とも書かれている。
「もともとこの空間が好きな人は多い」と美術館のスタッフは言う。年配のファンだけでなく、建築を勉強する若い学生など、年齢の幅も広い。フィナーレが近づけばカマキン(鎌近)を訪れる人はさらに増えるはずだ。年が明け、最後の1カ月はどうなるのか。
2階の喫茶室を出たところに小さな階段がある。上がっていくと中3階は1969年まで学芸員室として使われていた小部屋。いままで非公開だったその部屋も今回は一般公開され、窓から喫茶室の壁画が見下ろせる。昨年亡くなった洋画家の田中岑(たかし)が57年に制作した『女の一生』だ。
この壁画は完成から10年余り後に白い板壁で覆われ姿を消した。理由はよく分からない。2003年に美術館の改修工事で見つかり、復活したという。
喫茶室は池に面し、館内で最も日当たりと眺望のいい場所にある。かつてはお見合いの場としてもよく利用されたという。いまはお見合いとはいかないが、店内の雰囲気にも名物のプリンにも、昔懐かしい味わいは残されている。この場所を楽しみにして美術館を訪れる人も少なくない。
主任学芸員の長門佐季さんは初めてカマキンに来てから20年以上になる。その大半の日々をここで過ごしてきた。長門さんだけでなく、スタッフのカマキンに対する愛着は強い。掃除ひとつを取っても「本当に住むように」行ってきた。その結果としての歴史と現在の空間がある。
『最後の展覧会』の閉幕まで1カ月余り。「歴史、蓄積をみんなが大事にしてきた。建物は人がいて、使っているから生きている。いい生かし方があって次のステージにあがればいい」という思いもまた強い。