『NO TIME TO LOSE』再読 その1 序文から

 ピーター・ピオット博士の回想録『NO TIME TO LOSE ~ エボラとエイズと国際政治』の日本語版が刊行されてからほぼ半年が経過しました。たくさんの方にご関心をお持ちいただき、ロングセラー軌道に乗りつつあることは、本書の翻訳チームの一員として非常に心強く、ああ、訳して良かったと改めて感じております。

 と同時に、何と申しましょうか・・・。個人的なことで恐縮ですが、最近は加齢に伴う精神と肉体の諸々の変化もあり、「済んだことはすぐに忘れる」という得意技に一段と磨きがかかってきたようでもあります。翻訳の開始から出版までに2年もかけ、分かりやすい文章にするため、何回も読み直してきたというのに、半年たつとこうも忘れてしまうものかと、我ながらあきれる思いですね。こんなこともあろうかと、日本語版の出版前に備忘録がわりに作成した訳文の抜き書きから、そのまた一部をピックアップして少しずつ紹介しましょう。まずは序文から。

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《世界の医学界が、少なくとも先進諸国では感染症を制圧できたと考えていた時期もあった。二千年紀の終わり近くに新たな病原体が出現し、流行が拡大するなどということを当時、誰が予言できただろうか。エボラとHIV感染はおそらく、次の世代にも存在し続けるだろう。あまりにも楽観的なシナリオとは対照的に、私にはエイズの終わりが視野に入っているとは思えない》

 いやあ、ホント、ホント。最近は世界中でエイズ対策分野の専門家が「予防としての治療」による「公衆衛生上の脅威としてのエイズ流行の終結」に前のめりになっている印象がありますが、公衆衛生政策の素人である私のような者でもそれはちょっと無理じゃないのと思います。本書では、ピーターのようなエイズ対策の第一人者が説得力をもってこの点を指摘し、じゃあどうしたらいいのかということも示しています。

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《もっとも重要なことはおそらく、エイズのような大変な事態のもとでは、高い教育を受けてきたのか、そうでないかに関わりなく、人間というものの良い面も悪い面もはっきりと出てしまうということだろう》

 私が1989年から90年にかけて米マサチューセッツ州ボストンにあるHIV陽性者のドロップインセンター(気楽に立ち寄れ、安心して過ごせる場所)『ボストン・リビングセンターに日参していたころにも、事務局長のリズ・ハーディ・ジャクソンから同じような感想を聞いたことがあります。現場の共通感覚かもしれませんね。個人的には悪い面ががんがん出てきちゃった四半世紀ではなかったかと少々、心配。

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《そこでは、四半期ごとの結果や短期的展望といった現代病ではなく、可能な限り多くの人のいのちを救うという究極の目的に従って行動する必要があることを学んだ。そうした大きなボーナスとともに、それは自分自身を見つめ続ける機会でもあった。この回想記がウイルスに関してよりも、人びととその組織や運動について多く取り上げることになったのはそのためだ》

 人と組織に関する大きな示唆を得られる本でもあります。ほんのサワリだけの紹介で恐縮ですが、ぜひ、ご一読ください。

 

 慶應義塾大学出版会の公式サイトはこちら。

 http://www.keio-up.co.jp/kup/sp/notimetolose/

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