試練再び MERSにどう対応するか 米生命倫理委員会エボラ報告書からの教訓

 

 重い肺炎などを引き起こす「MERSコロナウイルス」に感染した患者が韓国で増えているということで、中東呼吸器症候群に関する報道が国内でも増えてきました。たとえば・・・

 

 《韓国 MERS感染者に接触の750人隔離》

 http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150602/k10010100711000.html

 

 昨日のNHK NEWS WEBのニュース詳細です。中東での流行が隣国の韓国にまで飛び火したとなると、日本でも当然、備えは必要になるでしょう。このあたりは2003年のSARSの経験もあるので、厚生労働省もかなりしっかりと対応しているように思います。

 

 MERS情報については厚労省検疫所のサイトが参考になります。

 http://www.forth.go.jp/news/2015/02021049.html

 

 ただし、韓国情報はまだ含まれていません。韓国の状況も踏まえ、国内でMERSをどう受け止めていったらいいのか。このあたりは『あれどこ感染症のFACE BOOK』が非常にためになるといいますか、さすがに感染症の専門家は違いますね。ずしっと安定感があり、私のような門前の小僧には大いに勉強になります。

 https://www.facebook.com/aredoko.kansen

 

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 ということで、情報収集にいそしみつつ、小僧は小僧なりに感染症の流行(あるいは流行するかもしれないという事態)に直面した際の基本的な考え方を整理しておきましょう。

 

 『政府および保健機関は感染拡大を防ぐために接触者の行動制限や渡航規制など公衆衛生上の規制策を実施する際には、入手可能な最良の科学的エビデンスに基づき、必要最小限の規制策をとるべきである。さらに、そうした手段をとる理由を明確に伝え、実施期間中も常に情報を更新して公開できるようにしなければならない。とりわけ、最も大きな影響を受ける人たちには特別の配慮が必要である』(「エボラと倫理的課題:保健計画の策定および対応」勧告5)

 

 試練再び。何度くりかえしても同じ反応がでてきてしまいそうなので、改めて引用します。米生命倫理委員会が2月に発表した報告書『エボラと倫理的課題:保健計画の策定および対応』の7つの勧告のうち5番目です。

 

 感染症の流行時に流行を抑えるための患者、感染者、およびその接触者に対し、行動制限を伴う強制的対応策はどの範囲で、どの程度、認められるのか。その根拠は何かということをその前後の部分でかなり詳しく分析しています。報告書については当ブログでも、こちらからHATプロジェクトのブログに掲載された日本語仮訳に跳べます。

 http://miyatak.hatenablog.com/entry/2015/05/27/012323

 

 分量が多いので、このうち勧告5に関連する部分(「公衆衛生上の規制策」)を抜き出しておきましょう。勧告そのものはパート2その3にあります。

 パート2その1

http://asajp.at.webry.info/201505/article_10.html

 

パート2その2

http://asajp.at.webry.info/201505/article_11.html

 

パート2その3

http://asajp.at.webry.info/201505/article_12.html

 

 

 「分析と勧告」の「分析」の部分も引用しておきます。

 

 『歴史はこれまでに繰り返し、感染症の流行が恐怖を生み出し、日常生活を混乱させ、社会的責任を持つ機関への要求を高めるものであることを示してきた。こうした状況下における圧力が必要以上に強い規制策を促すことにもなる。たとえば、科学的なエビデンスも専門家の合意に基づく明確な陽性もないのに、渡航規制や行動制限、さらには防疫線のようなより厳しい手段をとることもある。

 公衆衛生的なエビデンスに基づき、可能な限り権利を侵害しないような対策を打ち出し、実行していくには、個人の自由を守ることの重要性を政策担当者に認識してもらう必要がある。政策担当者はこうした手法による不適切な結果を招くことのないよう、社会的圧力も含めた社会の力学に対しても認識し、できれば備えておくべきである。規制策の施行は新たな科学的エビデンスに照らし、定期的に検証を行うことも必要である。

 議論を重ねる民主的手続きでは、対策に影響を受ける人たちに対し手段の正当性をきちんと説明することが重視される(注142)。危害則およびそれに関連したエビデンスに基づく行動と侵害最小化原則は、広く受け入れられている保健、および公民の自由の価値を反映したものである。たとえば、公衆衛生と安全と安定を守ることがCDCの使命であるように、公衆衛生の機関および専門家には、公衆衛生の担い手としての大きな責務がある(注143)。社会に奉仕するこの永続的な使使命こそが、規制策の倫理的な基盤を提供するものなのだ』

 

 この後、勧告5が入って、さらに分析のまとめがあります。

 

 『公衆衛生は個人および集団を守るうえで重要である。健康障害や死に対する恐怖に国民がさらされるような危機においては、個人の自由といった他の重要な価値が制限されることもありうる。そのような状況下における大きな課題は、脅えている社会に対し、自由を不当に制限することも、リスクを過小に伝えることもないようなかたちで、信頼を回復し、その脅えを鎮めていくことである。したがって、規制策を正当化するには、公衆衛生上の危機に対応するうえで、どうしてもその手段が必要なことを説明できるようにしなければならない。同時にこうした原則は行政担当者に対し、感染管理に効果があり、しかも最も制限性が小さな手段を選ぶことを求めるものでもある』

 

 公衆衛生担当者は、なかなか難しいタスクを担うことになります・・・と、他人ごとのように言っている場合ではなく、マスメディアにもかなり厳しい牽制球が投げられていると受け止めなければならない局面が、もうすぐ出てくるかもしれません。

 

(追加)韓国のMERS報道に関連して、日本で報告があったらどうするといったことを考えながらFACE BOOKに書いた個人的な感想を追加しておきます。

 

  接触者の把握、そして健康状況の管理を粛々と進めることで対応できるのではないでしょうか。飛沫感染で広がるということで、不安を持つのは当然ですが、治療にあたる医療従事者、ケアにあたる患者の家族やお見舞いをした人、病院で同室だった他の患者さんといった接触調査の対象となる人以外は、過度に不安を増幅させないようにすることも大切です。
 メディアには情報を伝えることで、そうした不安の増幅を回避し、必要な対応が過不足なく取れるようにする役割もあるのではないかと思います。
 接触者として一定の行動制限を受ける人に対しては、やむを得ず必要な制限を受け入れていただく以上、それを超えた不利益を被ることがないよう、行政当局やマスメディアも含め社会的な自制が必要とされる局面も出てきます。
 発症した人はもちろん、接触者調査や行動制限の対象となる人たちも、何か悪いことをしたり、犯罪者であったりといったような扱いを受けなければならない理由はありません。病を得た人には治療を提供する。これが大前提です。新興感染症への対応という試練に臨むには、発症して病と闘っている人、あるいは発症するかもしれないと思いつつ行動制限に応じている人への想像力を忘れないことが大切です。・・・ということを忘れずにいまのうち書いておこう。