【視点】エボラとエイズ 「最悪のシナリオ」と闘う医学者

 本日付のビジネスアイ紙に掲載されたコラムです。4月17日には慶應義塾大学三田キャンパスでピーターも交えた出版記念セミナーも開催される予定。

 (追加)4月17日のセミナーは本日、申込みが定員に達し、締め切られました。予定の締め切り日より1週間早かったそうで、たくさんの皆さんにご関心を お持ちいただき、訳者としても秘かに感謝しております。ありがとうございました。どうか本もお読みいただくようよろしくお願い申し上げます。


【視点】エボラとエイズ 「最悪のシナリオ」と闘う医学者
http://www.sankeibiz.jp/compliance/news/150407/cpd1504070500005-n1.htm

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 エボラウイルスの発見者の一人であり、国連合同エイズ計画(UNAIDS)の初代事務局長として1990年代から2000年代にかけて世界のエイズ対策を牽引してきたピーター・ピオット博士が今年のガードナー国際保健賞受賞者に決定した。

 カナダの財団が運営するガードナー国際賞は、医学分野で優れた業績を上げた研究者に贈られる賞で、京都大学山中伸弥教授をはじめ、過去の受賞者には、後にノーベル生理学・医学賞に選ばれる人も少なくない。3月26日に発表された今年の国際賞受賞者5人の中には、東京工業大学大隅良典特任教授、大阪大学の坂口志文教授の2人が含まれ、国内のニュースでも報じられたので「あっ、あの賞ね」とご記憶の方も多いのではないか。

 ガードナー国際保健賞の方は08年に新設された賞で、途上国の保健問題に対処し、医学の発展に貢献した人に贈られる。歴史は浅いが、賞の重みは変わらない。感染症の流行や環境問題への関心が高まり、保健課題を地球規模でとらえる視点の重要性が認識された結果、新たな受賞枠が設定されたと考えていいだろう。

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 ピオット博士はベルギー出身で、現在はロンドン大学衛生・熱帯医学大学院学長。私事で恐縮だが、欧州から遠く離れた極東の島国で、その博士の受賞に「やった」と思わず喜びの声を上げてしまった。翻訳のお手伝いをした博士の回想録『ノー・タイム・トゥ・ルーズ-エボラとエイズと国際政治』が3月21日に慶應義塾大学出版会から刊行されたばかりだったからだ。

 回想録のさわりを紹介しよう。ピオット博士は1976年10月、ザイール(現コンゴ民主共和国)のヤンブクという小さな村で発生した謎の感染症を調査するため現地を訪れる。付近を流れる川の名前をとって後に「エボラ」と命名される感染症だ。

 ザイールの首都キンシャサに集まった国際調査団のメンバーが、ヤンブクの調査と治療にあたりながら最も恐れていたのは、その流行が大都会に広がることだった。回想録にはこう書かれている。

 「最悪のシナリオは流行がキンシャサにまで広がることだ。無秩序な巨大都市でインフラは貧弱、政府は信頼できない。独裁的な政府を無視することに慣れた300万人の市民が暮らしている」

 だが、このときは流行が首都に広がることはなかった。その後も大流行は何とか回避されてきた。「最悪のシナリオ」が現実のものになるのは、最初の流行の38年後、西アフリカのギニア、リベリアシエラレオネ3カ国に拡大したときだった。


 ただし、これはあくまで「エボラに関しては」という限定付きの話である。実は世界は既に、エボラの「最悪のシナリオ」を大きく超える深刻な新興感染症パンデミックを経験し、なおかついまも現在進行形で経験しているのだ。

 ピオット博士は83年10月、キンシャサの病院を訪れ「朝だけで、エイズと思われる症例を50例以上」もみた。そのときの様子はこう書かれている。

 『76年の悪夢を思い出した。エボラがキンシャサを襲うかもしれなかったときのことだ。私はそこへ戻っていた。しかも、この新たな流行は既にキンシャサを襲っていた。私が知る限りでも、この流行による死者はエボラよりはるかに多くなりそうだった。エイズには見えない部分が多く、それは制御不能ということでもあった。エボラは序曲にすぎなかったのだ』

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 その後、博士はUNAIDSの事務局長を14年間も務め、エイズ対策を通して国際政治の現場にも足を踏み入れていく。

 コフィ・アナン国連事務総長南アフリカネルソン・マンデラ大統領、中国の温家宝首相、キューバフィデル・カストロ議長と登場する役者もそろっている。博士には近い将来、医学賞よりもノーベル平和賞を受賞することを期待したい。

 訳者としてはひそかにそう思うのだが、新興感染症との闘いはまだ、終わったわけではない。回想録の日本語版序文には「エボラは再来し、HIV感染はいまも続いている」と書かれている。そのこともまた、肝に銘じておくべきだろう。