無党派層のための首都決戦ガイド4  政治家か行政官か

 個人的なことを言うと、東京で生まれて東京で育ったもので、東京は地方だという思いが強い。1999年の都知事選の連載の4回目です。

 

無党派層のための首都決戦ガイド4

 政治家か行政官か 期待される特別な存在感

 

 東京都知事選の六人の有力候補のうち、世田谷区の自宅に事務所を構える舛添要一氏を除き、五人の選挙事務所は新宿区にある。三月二十五日の告示日には、このうち三候補が第一声を新宿であげた。都庁のおひざ元という事情もあって少なくとも都知事選に関するかぎり、新宿は東京の中心だといえるだろう。

 投票前日の十日の夕方には、新宿駅周辺に複数の候補者が集まり、最後のお願いが入り乱れて選挙戦は最高潮の盛り上がりを見せることになるはずだ。

 東京都の平成十一年度一般会計予算は六兆二千九百八十億円。職員約十九万六千人。面積はともかく、予算の規模や職員数、そして抱えている人口の大きさという点でいえば、東京都は日本最大の地方自治体である。予算の規模はインドの国家予算とほぼ肩を並べている。

 首相官邸や国会、各省庁が並ぶ千代田区永田町・霞が関一帯とともに新宿がもう一つの政治的な極を形成していることは、人口一千百六十万の巨大な「地方」であり、同時に日本という国家の首都、つまり「中央」でもある東京の二面性を象徴している。

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 中央であり、巨大な地方でもある首都・東京の二面性は、都知事という存在にも複雑な役割とパワーを与えている。都知事は日本最大の自治体を動かす行政官の長であり、同時に九百七十万の有権者の直接投票によって選ばれる大統領型の政治家でもあるからだ。

昭和五十四年から四期十六年にわたって都知事の座にあった鈴木俊一氏は退任を控えた平成七年一月のインタビューで、都知事の仕事について「忙しさにおいては、国政の責任者である総理や官房長官よりずっと忙しいと思います」と語っている。鈴木氏には現職当時、名誉職も含めたさまざまな肩書きが百九十もついていたという。

間もなく退任する青島幸男知事にも、日赤東京支部長、日本美術協会理事などの兼任の役職が九十七もあった。各種の行事への出席、会議、市区町村長の陳情、表敬訪問への対応など都知事の毎日は分刻みのスケジュールとなる。

 知事が選挙で選ばれるようになったのは地方自治法が施行された戦後の昭和二十二年からで、それ以前は官選知事だった。その昭和二十二年の第一回統一地方選以後、これまでに安井誠一郎、東龍太郎美濃部亮吉鈴木俊一、そして現職の青島幸男と五人の公選知事が誕生している。

 革新自治体の代表格だった美濃部都政は「ストップ・ザ・サトウ」をスローガンに自民党の佐藤政権との政治対決姿勢を明確にし、次の鈴木知事は官僚としての実務経験を生かして行政官に徹しようとした。都知事の持つ政治家と行政官の二面性のどちらに比重を置くかは、その時々の時代背景と知事の個性によって異なっている。

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 議院内閣制の日本では、首相は国会議員の投票によって選ばれる。国民が直接、投票して選ぶわけではない。首相と都知事の選ばれ方の違いを考えれば、都知事になるには首相よりも大きな個人的魅力が求められるということもできる。

 今回の都知事選には、それぞれに輝かしい経歴と実績を持つ六人の有力候補が名乗りをあげている。鳩山邦夫氏は衆院議員で文相、労相の経験者。柿沢弘治氏は衆院議員で元外相舛添要一氏は国際政治学者。三上満氏は元教師で全労連議長などを務めた。明石康氏は日本人初の国連職員であり、のちに国連事務次長となった。石原慎太郎氏は作家であり、衆院議員時代に環境庁長官、運輸相を歴任している。

 多士済々といえる候補者が顔をそろえたのに、それでも有権者から「これだという人がいない。どうも、もの足りない」といった声が聞こえてくる。おそらく、ほかのどんな有名人が候補者として名乗りをあげていたとしても、「帯に短し、たすきに長し」という印象を免れることはなかっただろう。都知事はそれほど特別な存在感が期待されているポストでもある。