先ほど紹介した1999年連載『無党派層のための首都決戦ガイド』の続きです。間にバブルが入っていたけれど、実はずっとだめだ、だめだと言い続けて、でもなんとなくここまで来ちゃった感じもします。ああそうか、だめだったり、うまくいっていなかったりする方が安心するタイプは、私一人ではなかったのかと変なところで安心したりして・・・。
無党派層のための首都決戦ガイド2
『鉄板』と『くし』 逃走願望から絆確認へ
NHK教育テレビの「お母さんといっしょ」に登場し、あっという間にブームに火がついた「だんご3兄弟」はCD売り上げで「およげ!たいやきくん」の四百五十三万枚を超えると予想されている。
「およげ!たいやきくん」は昭和五十年十二月、フジテレビの幼児向け番組「ひらけ!ポンキッキ」に登場し、翌五十一年に大ヒットとなった。テレビの幼児番組から広がったことで二つのメガヒットは共通している。昭和五十年は総広告費一兆二千三百七十五億円のうちテレビCMが四千二百八億円を占め、新聞広告の三千九百四十五億円を抜いた年でもある。「たいやきくん」のヒットは、テレビがいかに人々の行動に大きな影響を与えるメディアなのかを再認識させた。
当時も世の中は不景気だった。石油ショック後の不況から立ち直れず、東京都の五十年度当初予算は前年比四%減で戦後初のマイナス予算となった。ごちゃごちゃ言わずに沈みがちな気分を晴らしたい。「たいやきくん」を歌った子門真人さんの「むぁいにち、むぁいにち」という明るい粘り声も、タンゴのリズムに乗った「だんご、だんご」の繰り返しも、そうした気分にうまく適合した。
昭和五十年は統一地方選の年でもある。自民党の衆院議員だった石原慎太郎氏は都知事選に立候補して二百三十万を超える票を獲得したが、革新首長の代表ともいうべき現職の美濃部亮吉知事がそれを上回る得票で三選を果たしている。
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その石原氏が二十四年後の今回も立候補した。公平を期すため他の有力候補の当時の様子も紹介すると、田中角栄元首相のもとで修業をしていた鳩山邦夫氏は翌五十一年の総選挙で初当選して衆院議員となった。五十一年はロッキード事件発覚の年でもある。
大蔵官僚だった柿沢弘治氏は五十二年に新自由クラブから参院議員に当選。国際政治学者の舛添要一氏はフランスやスイスで研究生活を送っていた。金八先生のモデルの一人とされる三上満氏は葛飾区の区立中学校の先生。国連の日本人職員第一号だった明石康氏は当時、日本政府国連代表部の一員だった。
今回の都知事選の有力候補は「昔の名前で出ている」などともいわれている。二十四年の歳月は短くはない。「だんご3兄弟」と「たいやきくん」には共通する点が多いが、同時に見逃してはならないのは、二つのメガヒットに微妙な相違点があることだ。
その違いはなによりも歌詞に表れている。たいやきくんは鉄板の上で焼かれる毎日を「いやんなっちゃうよ」とぼやき、海に逃走する。しかし、結局は釣り上げられ、「やっぱりぼくはタイヤキさ」とあきらめの境地に達して食べられてしまうのである。
米国ではほぼ同時期の一九七六年(昭和五十一年)、ロックグループ「イーグルス」が、のちに一千万枚を超える世界的メガヒットとなった「ホテル・カリフォルニア」の中で、こう歌っている。
《サービス係に「ワインをください」と頼むと、彼は「そのようなスピリットは一九六九年以来、置いていません」と答えた》
「スピリット」にはアルコールと精神の二重の意味がある。彼らの喪失感は、たいやきくんの逃走願望やあきらめとも同質の時代感情を共有していた。
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串に刺さって兄弟のきずなを確認する「だんご3兄弟」が描くのは「たいやきくん」や「ホテル・カリフォルニア」とは異質な世界である。それは逃走願望や喪失感よりも、もう少し確実に確かめられるものを求めており、そのことで二十世紀末の極東の島国に住む私たちの不安定な感覚を逆説的に示してもいる。
統一地方選第一陣の十二都道府県知事選が告示される前日の三月二十四日未明、防衛庁長官は日本海沖の北朝鮮工作船を捕まえるための海上警備行動を海上自衛隊に発令した。告示当日の二十五日未明にはバルカン半島のコソボ紛争打開のため米国を中心とする北大西洋条約機構(NATO)軍のユーゴスラビア連邦に対する空爆が始まった。
総務庁が三十日に発表した二月の完全失業率は三百万人を突破している。
一九八九年(平成元年)のベルリンの壁崩壊に象徴される冷戦の終結と、その後の世界を揺るがした変化の大波は少し遅れて日本に到達した。阪神大震災と地下鉄サリン事件の年に行われた前回の都知事選で首都の有権者はおそらく、その変化に漠然とした期待を込めて、官僚候補よりも、青島幸男氏の方を選んだ。
六人の有力候補がしのぎを削る今回の選挙はどんな選択になるのか。不確定な要素が重なり合う中で、一つ確実なのは、奇妙な安定に支配された冷戦期の二十四年前はもちろん、わずか四年前と比べても、明らかに異なる気分が社会的に広がっていることだ。