泣かない男より、泣ける男の方が・・・ エイズと社会ウェブ版166

 大阪の日本エイズ学会会場で12月4日に開かれたメモリアルサービスでは、たくさんの人の前で大いに泣いてしまったので、その言い訳といいますか・・・。2011年12月に発行された『ジャーナリストの惨事ストレス』(現代人文社)という専門書に、私も短い文章を載せていただいたことがあります。以下、『惨事ストレスとジャーナリズムの現場』と題したその文章をもとにかなり手を入れてあります。

 

 

『泣かない男より、泣ける男の方が・・・』

 ジャーナリストの惨事ストレスをテーマにした記者会見はこれまでに日本記者クラブで2回、開かれている。最初は2009年2月25日、複数の新聞社、放送局を対象に実施された惨事ストレス調査の結果を松井豊・筑波大教授と福岡欣治・静岡文化芸術大学准教授(肩書きはいずれも当時)から報告していただいた。

 2回目は2011年5月16日、松井教授に再登板をお願いし、「東日本大震災における惨事ストレス」をテーマにお話をうかがった。同年3月11日の東日本大震災発生から2カ月余りが経過した時点での会見である。

 日本記者クラブ企画委員として2つの会見の司会を担当した経緯もあり、ささやかな個人的体験も含めた「取材体験と惨事ストレス」に関する考えを述べておきたい。

 

◇先輩ジャーナリストたちの反応

 受け売りになるが、最初に『惨事』の定義を紹介しておこう。

  『問題や脅威に直面したときに通常の対処行動機制がうまく働かないような事態』

  自然災害や大事故、火災、暴力、虐待、戦争など惨事となり得る現象は、同時にジャーナリストの重要な取材対象でもある。「問題」や「脅威」が大きければ、つまり、惨事性が増せば、報道の緊急性や重要性も高くなり、現場で取材にあたる記者の数も増える。 

 つまり、惨事ストレスは報道に携わる者にとって職業上、必然的に直面せざるを得ない切実なテーマなのだが、一方で記者には『惨事』の取材経験をある種の糧として成長していく側面もある。会見には現役記者に加え、すでに新聞社や放送局を退職しているOB会員も数多く出席していた。さまざまな現場取材を経験してきた大ベテランに対し、うっかり惨事ストレスなどと言い出そうものなら、そんな生っちょろいことでは取材にならんではないか、と叱責を受けかねない。司会としてはそんな心配もあった。

 松井教授らの研究班は、複数の新聞社や放送局の現役記者(非管理職)と管理職を対象に面接による聞き取りと質問紙に回答を記入する質問紙調査を行っている。ささやかながら産経新聞取材陣も調査には協力させていただいた。

 その結果によると、新聞社や放送局に勤めるジャーナリストの8割以上が取材や報道で、何らかの精神的衝撃を受け、「自分や同僚の身に危険を感じた」「取材した情景が現実と思えない」「無力感を感じた」「取材相手を傷つけた」などと答えている。「デスクから特ダネを強いられる」「他社に抜かれた」といった取材競争に伴う重圧もけっこう多い。現役記者の8人に1人はなんらかのストレス症状を自覚し、160人に1人はPTSDの症状に苦しんでいると推定できるそうで、「多いとはいえないけれど、苦しんでいる人がやはりいた」(松井教授)という。

 個人的に知り合った同業他社の記者の顔を思い浮かべてみても、心配性だったり、あれこれ気に病んだりする人はけっこう多い。新聞記者は特別にタフであったり、ストレスに強かったりするわけではなく、記者の資質としてはむしろ心配性なぐらいの方が向いているといわれることもある。「やはりいた」というのは当然の結果だろう。

 会見では、質問に立った先輩ジャーナリストが戦地取材の経験を語る途中で言葉を途切れさせ、こみ上げる涙を抑えて黙り込んでしまう場面もあった。「弱さ」を拒絶するのではなく、逆に自らの体験の意味を確認しようとするかのようなその姿は、惨事ストレスが現役の第一線の記者たち、およびその記者を現場に送り出す新聞社や放送局という組織にとって切実な課題であることを再認識させるものでもあった。

 

◇ゆるやかに拡大する危機

 ジャーナリストの惨事ストレスについて学ぶ過程で気がついたことなのだが、実は私にも惨事ストレスの経験がある。それどころか、いまもその影響は残っている。

 私が取材した「惨事」は、戦争でも、地震などの大災害でもない。HIV/エイズの流行だ。エイズは長い時間をかけてゆっくりと拡大していくタイプの感染症なので、その流行を「惨事」と受け止めることには違和感を持つ人もいまは多いかもしれない。

 ただし、1981年に米国で最初の公式症例が報告されて以来、これまでの30年余りの間に世界では約3900万人近くがエイズ関連の原因で死亡し、現在も推定3500万人がエイズの病原ウイルスであるHIV(ヒト免疫不全ウイルス)に感染している。延命効果の高い治療法は開発されているものの、HIVに感染している人、感染の高いリスクにさらされている人に対する社会的な差別や偏見は根強く、それが効果的な予防や支援、治療の提供といった対策の遂行を妨げている。この点も含め、「通常の対処行動機制」は長期にわたって継続的に「うまく働いていない」と言わざるを得ない。世界は(そして日本もまた)いまなお、緩やかではあるが確実に進行している「惨事」の最中にいると考えるべきだろう。

 

 1989年3月から翌90年10月にかけて、私は米国のボストン市内にあるエイズ対策の非営利組織にほぼ毎日、通っていた。日本の新聞記者であることを明らかにしたうえで、可能な範囲の活動に加わりつつ、米国の大都市圏におけるHIV/エイズとの闘いの現場を取材したいと考えたからだ。米国内では当時、「エイズによる国内の死者数が、朝鮮戦争ベトナム戦争の米兵の死者の合計を超えた」といったことが話題になっていた。

 帰国後にその報告を新聞で連載したことから、91年2月に早稲田大学理工学部の都市計画研究室で、米国のエイズの流行とコミュニティの対応について講演を頼まれたことがある。ボストンで知り合ったHIV陽性者の日常やそれを支援するさまざまなプログラムについて、都市計画専攻の大学院生を前に比較的、淡々と報告していたつもりだったのだが、エイズで亡くなった人を追悼するキルト展示について話そうとしたとたん、言葉が途切れ話せなくなった。何人かの親しかったHIV陽性者の顔が次々に浮かび涙が止まらなくなってしまったのだ。それでもあえて口を開こうとすると、何かの栓が外れたかのように、次から次へと涙があふれ、制御がつかない状態になっていった。

 米国の大都市内部のゲイコミュニティを中心にした当時のHIV/エイズの流行には、災害現場を目の当たりにするような衝撃的な場面があったわけではないが、亡くなった人たち一人一人との交流と別れの体験が、私にとっては少しずつ惨事ストレスとなって蓄積されていたのだと今にして思う。

 どういうわけかあの日の講演以来、公の場で話をする機会があると、理由もなく涙がこみ上げてくるようになった。取材でごく当たり障りのない質問をしているときですら変に涙声になってしまう。

 2005年には神戸で第7回アジア太平洋地域エイズ国際会議が開かれ、組織委員会の文化プログラム委員長として開会式、閉会式とアートイベントを担当した。そのとき、実質的にイベントを仕切ってくれたセックスワーカーの女性たちに準備段階で「私はすぐ涙ぐんでしまうので、あいさつが苦手なんだよね」と話したことがある。

 「それって、男は泣いてはいけないという束縛から自由になれているわけだから、けっこう素敵なことですよ」

 妙な褒められ方だったが、自分の中で持てあましていた涙癖に対し「まあ、それでもいいか」と思えるようになったのは、そのあたりからだ。

 

 

◇過去に例のない取材

 東日本大震災では、自らが被災当事者でもある現地報道機関はもちろん、首都圏など全国、さらには全世界から過去に例がない数のジャーナリストが取材で被災現場に入った。各新聞社や放送局には、現地からの情報を受け止め、日々のニュースとして発信する役割を担う記者やデスクもいた。過酷な現地の状況にリアルタイムでさらされ続けるという意味では、最前線の記者も後方で編集にあたるデスクも、それぞれに強いストレスを受ける瞬間が継続する。

 この事態をどう受け止めたらいいのか。自分で書いたもので恐縮だが、2回目の会見の報告を2011年当時、日本記者クラブ会報に掲載していただいたことがあるので、それを引用したい。

 

     ◇

 

 東日本大震災では多数の記者が取材を続けている。想像を絶する惨状に心が沈み込むことも多い。

 松井教授は戦争や災害などの取材がジャーナリストにもたらす惨事ストレスを研究してきた。被災者、被害者の現状を伝え、社会の支援を促して社会正義を保つ。惨事ストレスの軽減がそうした健康なジャーナリズムにつながると考えるからだ。

 東日本大震災は被害があまりに広域かつ巨大で、急性期が長期化している。その中で被災者に向けたメッセージとして「がんばろう、東北キャンペーン」は危険だと指摘する。「これ以上、どうがんばれというのか」と負担感が一層、増すおそれがあるからだ。「一緒に生きていこうでいいと思う」という。

 発生直後には、取材者に「興奮状態が続く」「体験したことを繰り返し思い出す」「思い出すことを避けようとする」「周囲と摩擦を起こしやすい」といった反応が出てくる。

 その対応には「少しでも休養をとる」「仲間や上司と話す」「家族など親しい人とともに過ごす」の3点が重要だ。

 2カ月以降は「身体の不調」「緊張や不安がとれない」「自分を責めて、ふさぎ込む」「災害にかかわることを避ける」「孤立を感じる」といった症状がみられるようになるので、積極的なストレス解消が必要になる。休養に加え、体験を話し合う機会を持ったり、周囲がほめたりすることが有効だという。

 ジャーナリストは職業柄、批判は得意でも、ほめるのは苦手な傾向がある。どうほめるのか。少々、愚問だが、尋ねてみた。

 「あなたのような大ベテランのジャーナリストが記事を読んだよと伝えるだけで、元気になりますよ」

 不覚にも、すっかりいい気分になってしまった。ほめ上手の心理学者には及びもつかないが、せめて努力はしてみましょう。

 

    ◇

 

 記者にとっては確かに、自分の書いたものを読んでもらえることは最大の励ましである。セックスワーカーとしての長い経験を有する知人の女性から「泣かない男より、泣ける男の方がいいですよ」と変な褒められ方をしたことで心が軽くなったことを考え合わせると、松井教授のアドバイスもまた、含蓄に富んでいる。