4341 苦しみ救う すすの跡 【湘南の風 古都の波】


 さすがに昼間は暑いということで、7月は朝、8月は夜に焦点をあてました。毎月第3土曜日のSANKEI EXPRESS紙の連載【湘南の風 古都の波】の8月掲載分です。渡辺照明記者の写真はこちらでご覧いただけます。
http://www.sankeibiz.jp/express/news/140819/exg1408190620001-n1.htm


【湘南の風 古都の波】夏の夜にゆらめく光

 8月初めのうだるような暑さの中でも、海から吹く夕風は涼しい。藤沢行きの江ノ電を腰越駅(こしごええき)で降り、踏切を渡る。その先の商店街は、道の真ん中に単線の線路が敷かれ、ガタゴトと電車が走り抜ける。

 鎌倉と藤沢の市境の藤沢市側にある龍口寺(りゅうこうじ)には江ノ島駅で降りた方が近い。

 だが、夏の夕風に吹かれながら漁師町の風情を残す商店街を歩く。タイムスリップのようなこのぜいたくは捨てがたい。

 日蓮宗寂光山龍口寺の境内は土曜日の8月2日夕、3000基の竹灯籠がともされ、たくさんの人がお参りに訪れていた。

 鎌倉時代の1271(文永8)年、幕府は日蓮上人を捕らえ、斬首の刑に処そうとした。ところが、江ノ島方面からの光で討手の太刀が折れるなど怪異現象が起き、処刑は中止された。「龍ノ口の法難」として伝わるその伝承の地に建立された龍口寺は、神奈川県内唯一の五重の塔があるお寺としても知られている。

 毎年夏になると江ノ島では亡くなった人の供養に灯籠流しが行われていた。龍口寺の龍の口竹灯籠は、その灯籠流しにかわり4年前に始められたという。

 薄暮から夜へと変わる微妙な時間の中で、青竹にろうそくをともした竹灯籠が境内に浮かび上がる。今年は8月1日から31日まで、期間限定で龍口寺本堂と五重の塔のライトアップも行われている。

 ブルーの光に輝く本堂の大屋根、深紅の五重の塔、そして地には竹灯籠のゆらめき。まだ暑さの本番はこれからだというのに、体の熱がすっと冷やされ、物思う季節に踏み込むような気配だった。


 ≪苦しみ救う すすの跡≫

 どうかなあ、大丈夫かなあ…。夜空とにらめっこをしているうちに、ぽつり、ぽつりと降り出してきた。(8月)9日午後11時、台風11号ははるか西の四国沖を北上中だったが、鎌倉上空にも湿った空気が入り込み、厚い雨雲が空を覆う。

 雨脚は次第に激しさを増し、その中で傘と懐中電灯を手にした人たちが谷戸(やと)の坂道を上がっていく。真言宗鷲峰山覚園寺(かくおんじ)で黒地蔵の縁日があるからだ。

 日付が変わる10日午前零時開門。昔からお参りは早いほどいいといわれているそうで、「くらやみ参り」とも呼ばれる。さすがにこの雨では訪れる人も少ないのでは…という予想を見事に裏切り、開門の少し前には長い列ができた。100メートルはあるだろうか。

 「ああ、本降りになっちゃったねえ」と話しながらじっと傘をさし、ゆっくりと列が前に進むのを待つ。まさに善男善女。その表情には、お天気とは対照的に荒れたところも、湿ったところも見られない。

 「こんなに来ていただいて、ありがたいことです。一生懸命、お祈りしなければ」と覚園寺の副住職、仲田順昌さんも自らに言い聞かせるようにいう。

 地蔵堂に安置される黒地蔵(木造地蔵菩薩立像)は慈悲深く、地獄に落ちた罪人の苦しみを少しでも和らげようと、鬼にかわって自ら火を焚(た)く。このため全身が黒くすすけ、いくら彩色しても一夜のうちに元の黒地蔵に戻ってしまう…。

 少し離れた千躰堂(せんたいどう)には小さなお地蔵様がずらりと並ぶ。大きさはほぼそろっているが、年代には開きがあるようだ。古いお地蔵様は室町時代から江戸時代初期に彫られているという。

 「地獄に落ちた人にも情けを施す。昔の人にとってそれはビックリすることでした。地獄に落ちるほどの無理難題を抱える人も、もしかしたら何か願いをかなえてもらえるかもしれないということで、小さなお地蔵様を借りて持ち帰ったのが始まりのようです」

 借り受けた仏像を返すときに自分で彫った一体をそえて奉納する。それが重なり「千躰仏」と呼ばれるほどに増えた。一時は廃れていたが、10年ほど前に新しいお堂が建てられ、再び広く親しまれるようになったという。

 社会にはさまざまな事情を抱えた人が生きている。対立や憎悪、あるいは排除といった負の関係を乗り越えるインクルージョン(包摂)の考え方はすでに室町時代からあった。

 黒地蔵に嵐の夜も長い列ができる。さまざまな痛みに対し、社会が少しだけ、理解を増している。その反映と見ることはできないだろうか。