4288 残っていました

 

 11日の夜は、大阪の「chotCASTなんば」で世界エイズデー国内啓発キャンペーンのテーマをめぐるフォーラムに出席。1泊して12日朝、東京に帰ろうかと思ったら、ホテルの近くの京阪電車淀屋橋駅から京都方面行きの特急が出ていました。終点が出町柳・・・。えっ、あの出町の三角州というか逆三角形というか。おお、懐かしい、そこまで行けるのということで、ついつい京都に寄ってしまいました。

 

 じゃあ、出町柳からどこに行くんだといったって、それほど時間があるわけではなく(ああ、忙しい)、あてもまたなく、百万遍まで歩く。女子寮はなくなっちゃったみたいだけどパチンコ屋さんは健在。京大のキャンパスにはコンクリートの建物がひしめき、これじゃあ、もう、あの昔の・・・残っていないだろうなあ、残っているわけないやと思いながら歩いてみたら。

 

 

 

 ありました。京大西部講堂。大学を卒業したてで、駆け出しの新人記者だったころにはよく取材しました。取材しているんだか、遊んでいるんだか(仕事に対する基本的な姿勢は40年間、まったく変わっていないわけだ、結局)と外見だけで誤解する人も少なくありませんが、ひたすら仕事の人生であります。

 それにしても、たたずまいは解体工事現場のような雰囲気もあり、入り口にいた若者に聞いてみました。

 「ここって、まだ使っているんですか」

 「つかっていますよ。コンサートとか、演劇とか」

   「解体の話も何度もあったようだけど」

 「最近は逆に保存しようという話になっているみたいですよ」

 そうなの、それはなにより。沢田研二萩原健一がここに来て・・・。変なおじさんに、そんな昔話を始められても、若者は困るわな。