4283 「かんだ」に行こうかな 那珂太郎さんをしのぶ

 昨日の新聞に那珂太郎さんの訃報が掲載されていました。学生の頃、清岡卓行さんの『抒情の前線』という本を読み、そこで初めて那珂太郎という詩人の存在を知りました。

 『抒情の前線』には10人の戦後詩の詩人が紹介されていて、そのうちの那珂太郎の章は『戦後に登場したざまざまな詩人たちの中にあって、那珂太郎ほど詩作の推移のいわば航跡が鮮やかなひとは、ほかにほとんど求めることができないだろう」という書き出しでした。

 そしてその中で一貫しているものが「虚無の優しい保留という一本の赤い糸である」みたいなことがすぱっと書いてある。清岡さんの文章もすごいけど、なんかちょっと詩を読みたくなっちゃうでしょ。

 那珂さんの詩集『音楽』が出たちょっと後ぐらいで、その航跡の鮮やかさは『音楽』の鮮烈さでもあります。「鎮魂歌」などという作品には、言葉の意味と音というかリズムというか、その分かちがたいような流れが繰り返し寄せては返すようで、うわっ言語にはこんな表現もあるんだと、半ばぼう然として見逃し三振みたいな状態でした。

 し・か・も、であります。そこはまだ途中だったんですね。「はかた」という詩が発表されたときにはのけぞっちゃったね、もう。都会を故郷とするものは、このようにその自分の育った町の記憶と歴史を描くことができるのか。そうか、やるなあ、やられたなあという感じです。

 中州の橋のたもとにたたずみ目をつむると、おい伊達得夫
 あのブラジレイロの玲瓏たるまぼろしが浮かんでくるぢゃないか

 く~。博多までは到底いけないにしても、ひょっとしたらお茶の水の橋の近くに行けば、ブラジレイロという名にふさわしい喫茶店の一つや二つはあるのではないかと、あてどなく学生街をふらついてしまったほどです。実は私の生まれ故郷は「かんだ」なもんで・・・(何か、読み方のポイントが外れてない? いいんだって、人それぞれなんだから)。

 その後、人工透析の後で、ざるそばを食べる詩などもありましたね(やっぱり、ポイントがずれてるわ・・・いいんだって)。

 ろくな読者でなく、申し訳ありません。清岡さんも那珂さんも、私にとっては、あまりにまぶしく、遠くから仰ぎ見るような詩人でした。言葉ひとつ交わしたこともなく、お目にかかったことすらない者ではありますが、素晴らしい作品への感謝を捧げるとともに、ご冥福をお祈りします。