4231 「相槌」は飛び散る炎のごとく 【湘南の風 古都の波】

 

 世の中、知らないことがたくさんあります。
 ふんふん、それで・・・こんな相槌のせいでしょうか、私の日々はどうも不純物混ざりまくりであります。2013年も残りわずかになりました。
 ふ~ん・・・。またかいな、もう、ええわ。
 

 12月の【湘南の風 古都の波】。鎌倉は伝統と現在が違和感なく交錯する街であるように見えますが、それもたくさんの方のご努力、ご尽力があってこそであります。来年は生返事でなく、きちんと相槌を打てるようになろう。火の玉のほとばしる渡辺照明カメラマンの写真は、こちらでご覧ください。


【湘南の風 古都の波】 被災地復興祈り、舞う
http://www.sankeibiz.jp/express/news/131221/exg1312211504000-n1.htm

 秋の深まる建長寺の方丈「龍王殿」で11月23、24の両日、早池峰大償神楽(はやちねおおつぐないかぐら)が演じられた。東日本大震災被災地復興を願う「鎮魂と祈りの舞」だ。

 早池峰神楽は、岩手県花巻市の大償、岳(たけ)の2地区に伝承される神楽で、2009年、京都祇園祭の山鉾(やまほこ)行事などとともにユネスコ無形文化遺産に登録されている。北上山地の最高峰である早池峰山(標高1917メートル)を霊山として信仰する山伏たちによって代々、舞い継がれてきたものが明治以降、一般の人々に伝えられるようになったという。

 無形文化遺産登録の際に文化庁が発表した報道資料によると、「室町時代の能が大成する以前の姿をうかがわせる」という。いわば日本の芸能の原点をそのまま伝えるような荒々しさ、力強さ、そして繊細さが魅力だろう。

 鎌倉公演は、鎌倉市内でリサイクルショップを運営し収益を海外の女性の自立支援や教育支援、自然災害などの支援に寄付するNPO法人ピースロード鎌倉と東日本大震災の復興支援に取り組む一般社団法人「SAVE IWATE」が中心になって実行委員会を作り、建長寺の協力を得て実現した。

今回の公演は建長寺方丈という歴史的建造物の内部で行われたため、実行委員会が広く寄付を募り、組み立て式の屋内用神楽舞台を製作した。

 この舞台は今回限りではなく、今後も全国各地の公演で活用されるという。そこには震災の体験を風化させないという強い思いもまた、込められている。

 

 《「相槌」は飛び散る炎のごとく》

 小さな工房に火の玉が飛び散る。カメラを構える人たちが思わず「うわっ」と声を上げ、後ずさった。街を吹き抜ける風も一段と冷たさを増した師走の8日午前、相州鎌倉の刀鍛冶の伝統を受け継ぐ正宗工芸で、ふいご祭が行われた。

 炭火の炉に空気を送り込む「ふいご」の神様に感謝をささげる伝統の行事。しめ縄が張られた工房で、第24代刀匠正宗、山村綱廣さんが1300度に熱せられた鋼の板を取り出し、真っ赤な表面を小さな槌(つち)でこんこんと軽くたたく。「ここを打て」というその指示に合わせ、2人の弟子が交互に槌を振り下ろした。

 お弟子さんたちが振り上げたのは相槌で、山村さんの持つ小さな方が主槌だという。相槌を打つというと今は、相手の話に適当にうなずいて聞き流すような語感もあるが、実際にはご覧のように、火の玉が飛び散る激しい業だった。人の話は心して聞こう。そんな厳粛な気持ちにもなる。

玉鋼という塊を小ぶりの板状に整えて積み上げ、その鋼を熱しては打つ、さらに折り曲げ重ねてまた熱しては打つ。折り返し鍛錬と呼ばれるこの工程は15回ほど繰り返される。いまは相槌を振り下ろすかわりにスプリングハンマーという機械もある。

 飛び散る火の玉は不純物を多く含み、その分、残った鋼は純度を高め粘りが強くなる。相槌を担当した日本美術刀剣保存協会鎌倉支部の幹事、出島宏一さんによると、折り返し鍛錬を繰り返すことで6キロの塊が1キロに減っていくという。

 この後、鋼を刀状に長く延ばし、かたちを整え、焼き入れを行い…と工程が続き、刀が完成するまでには2週間ぐらいかかる。

 山村家古文書によると、初代の岡崎五郎入道正宗は鎌倉時代末期の刀工と伝えられ、5代目の山村廣正の時に戦国武将、北条氏綱から綱の一字を得て綱廣と名乗るようになったという。以後、当代の山村綱廣さんまで脈々と正宗の名と名工の技が受け継がれてきた。

 正宗工芸はJR鎌倉駅のすぐ近く、フランス、イタリア料理のレストランや古道具店、画廊などが並ぶ小さな通りの一画に店舗があり、その裏が工房になっている。傍らには合槌稲荷(いなり)という小さなお稲荷さんもあり、市街地の中で不思議な安らぎがある空間だ。

 現代では刀の需要は限られているが、正宗工芸には包丁や鉄工芸品を買い求めに来る人も多い。料理人だろうか、ふいご祭の日も子供連れの夫婦が「おやじの代からウチはここの包丁で」と店を訪れていた。和食がユネスコ無形文化遺産に登録されたこともあり、名工の技はまた一段と見直されることになりそうだ。