4204 《23年間、いい波を待っていた》

 イナムラクラシック観戦記の続きです。昨晩は東北楽天イーグルスのリーグ優勝というニュースが入ってきたため、産経新聞掲載の長沼さんの紹介記事は締め切りの早い版のみとなりました。つまり、東京近辺に配られる新聞ではボツになっちゃったのね。残念ですが、紙面にはスペースの制約があるので致し方ないでしょう。

こういうときにネットでフォローできるのは、いいですね。新聞に掲載された長沼さんの紹介記事は実は、私の元原稿に地方部のデスクがいくつか情報を付け加えてくれました。

 

  《近代サーフボードをデザインしたディック・ブルーワー氏のボードと出会い、日本の波に合ったボードに仕上げ、サーフィン界の草分け的存在となった》

 

 知らないで取材していたけれど、大変な方だったんですね。申し訳ありません、ご無礼の段、お許しください。それにしても、その伝説的人物のお年を うかがったら、私より1歳、お若いということが分かりました。ちょっと、ガクっとするとともに、この23年間、何を待つでもなく、ずいぶん無駄に生きてき た我が身を振り返り・・・(そんなことは、まあいいか)。

 

 記事としては掲載されたものの方がはるかにできばえが良くなっているのですが、個人のブログなので、ここでは元原稿の方を紹介したいと思います。

 


《23年間、いい波を待っていた 伝説のサーフィン大会実行委員長 長沼一仁さん(63)》

岬の先端に座り、大波を見つめる。午前8時。それでは24年ぶり、イナムラクラシック…。マイクを通した開始合図も、海岸沿いの公園を埋め尽くした大観衆のオーッという声にかき消された。

 「今日は波がいい。うれしい。安心しました」

 かつて新田義貞が剣を投じて荒海を鎮めたという鎌倉市稲村ヶ崎で26日、イナムラサーフィンクラシックが開かれた。夏の終わりから秋の初めにかけ て、台風の季節に毎年、準備はしていた。日本を代表するサーファーたちを招待し、約1カ月の待機期間を設ける。だが、大会にふさわしい波が来なければ開か ない。

 前回は1989年。実行委員長として、その波をじっと待ち、そして波に裏切られ続けてきた。

 26日は台風20号が日本の南海上を北上し、相模湾に大きなうねりが入った。

 「台風が上陸するようではどんなに大きくても開けない。23年間、いい波が来なかった」

 今年も実は25日開催を検討したが、理想の波を待つために1日見送っている。

 日本のサーフィンは半世紀近く前、湘南の鎌倉や鵠沼、千葉の鴨川な どでほぼ同時発生的に始まった。そのサーファー第1世代。いい波が来た時だけ開く大会は当初、ナガヌマクラシックと名付けられたが、「鎌倉を盛り上げた かった」と89年、イナムラクラシックに改称。それ以来の開催に大観衆が集まり、「大して宣伝もしなかったのに、ネットの力に驚いています」と時代の変化 も感じた。

 次がいつなのかは、誰にも分からない。その答えはきっと「波が知ってるだけさ」ということだろう。