今年11月にはモスクワで閣僚級世界結核会議

 一日遅れですが、日本語バージョンも紹介しておきましょう。国連合同エイズ計画(UNAIDS)のインフォグラフィック結核HIV』の日本語仮訳版です。

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 参考までに付け加えておくと、結核に関しては2018年に国連ハイレベル会合が開催されることが決まっています。昨年12月15日に国連総会で開催が決定されたときに世界保健機関(WHO)から出された歓迎のニュースリリースです(英文のままですがあしからず)。

www.who.int

 その前段として今年11月16~17日にはモスクワで第1回閣僚級世界結核会議が開かれるということも書いてありますね。

 こちらはWHOとロシア保健省が主催し、各国担当閣僚に参加を呼びかけているようです。日本はどうするのでしょうか。会議に関する紹介はこちら(またしても英文のままですいません)。

WHO | FIRST WHO GLOBAL MINISTERIAL CONFERENCE

 ENDING TUBERCULOSIS IN THE SUSTAINABLE DEVELOPMENT ERA: A MULLTISECTORAL RESPONSE(持続可能な開発時代における結核終結:分野横断的対応) というサブタイトルがついています。

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 エイズ対策にしても、結核対策にしても、最近は持続可能な開発目標(SDGs)の枠組みの中での流行終結を重視しています。もちろん、2030年には完全に流行がなくなりますよというわけではなく、あくまで公衆衛生上の脅威とならないレベルに抑え込むという目標ですが、非常に重要です。
 ここであえて憎まれ口を付け加えておけば、われもわれもとSDGsに乗っかってきた企業関係の皆さんや一部政府関係の皆さんは、保健分野にはわりと冷淡な印象を受けます。何を考えているんだろうねと私などはついつい感じてしまいますが、あまり「うまみがない」と思うのでしょうか。

 

インフォグラフィック『結核とHIV』

 今年の世界結核デーについては、当ブログでも《本日は世界結核デー エイズと社会ウェブ版262》(3月24日)、《世界結核デーでUNAIDSがプレスリリース エイズと社会ウェブ版263》(3月25日)と2日連続で紹介しました。

 国連合同エイズ計画(UNAIDS)も指摘しているように結核HIV/エイズ対策の観点からも軽視できない課題であるからです。

 《結核HIV陽性者にとって、最大の入院および死亡原因となっている。2015年のエイズ関連の年間死者数は110万人で、このうち約40万人は結核で死亡している。子どもも4万人含まれている》 

 UNAIDSの公式サイトにはプレスリリースと合わせて、要点を1枚で図示したインフォグラフィックスが掲載されています。え、インフォグラフィックス? 何だそれ・・・と実は私も思いました。

 最近は海外から新しい用語が続々と入り、しかも日本語でうまい訳語がみつからないので、カタカナ表記が何となく広がっていきます。ま、世の中の流れには逆らえないし、合わせていくよりしょうがないか・・・例によって愚痴方面に脱線してしまいましたが、要は「情報や知識を視覚的に表現したもの」をインフォグラフィックスと呼ぶそうです。発表資料などに使うと、何となく分かったような気になるので、便利なんでしょうね。

 実物を見ていただきましょう。

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 公益財団法人エイズ予防財団のスタッフにお願いして、日本語仮訳バージョンのpdf『結核HIV陽性者の最大の死亡原因です』も作成しました。プレスリリースの日本語仮訳とともにAPI-Net(エイズ予防情報ネット)に掲載してあります。こちらでご覧下さい。

api-net.jfap.or.jp

 

 

『カミングアウトの有無にかかわらず』 エイズと社会ウェブ版 265


 大阪府は3月30日付で、公式サイトの報道発表資料ページに『性的マイノリティの人権問題についての理解増進に向けた取組について』という資料を掲載しました。

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大阪府/報道発表資料/性的マイノリティの人権問題についての理解増進に向けた取組について

大阪府では、性的マイノリティの人権問題について、「大阪府人権施策推進基本方針」において取り組むべき課題の一つに位置づけ、様々な取組を進めています。
 しかしながら、人権問題に関する府民意識調査等によると、この問題に対する理解をさらに深めていく必要がある状況です。
 そのため、この問題についての理解増進を図り、今後の課題解決に向けた取組の基礎となるよう、このたび、「性的マイノリティの人権問題についての理解に向けた取組」を取りまとめましたので、お知らせします。
 今後、こうした取組を踏まえ、性の多様性について偏見や差別をなくしていけるよう、引き続き取り組んでまいります》

 取り組みの詳細および概要についてはPDF版で掲載されています。この中で私が自分でも肝に銘じておかなければならないと思ったのは(府職員の取組姿勢)の中の以下の指摘です。
 《カミングアウトの有無にかかわらず、当事者が自らの職場を含め身近にいることを前提に、全ての行政事務・サービスを進めていく必要がある。加えて、施策の立案等においても、性的マイノリティの人々への配慮を常に意識することが必要である》

 もちろん私は大阪府職員ではないし、公務員でもありません。しかし、カミングアウトしている人がいる時といない時では「言っていることが違っている」と思うような言動に走りがちなおじさんではあります。

 あまり認めたくないけれど、このことは認めざるを得ません。「差別の意識などありません。偏見もありません」と自ら胸を張って言えないのもそのためです。

 同時に、自分が差別的言動を日常的に行いがちな存在であるということを認めれば、それで居直れると考えているわけではなく、居直りたいと思ってもいません。
 したがって、今日もまた反省の日々の中の一日が過ぎていく。そのことを認識したうえで、大阪府の皆さんが『カミングアウトの有無にかかわらず、当事者が自らの職場を含め身近にいることを前提に、全ての行政事務・サービスを進めていく』意識を持たれることはいま、非常に大切なことだと考えています。

 

ベイゴマでしたか 『東京の下町』拾遺

 吉村昭さんの長編エッセー『東京の下町』の読後感想文続編です。感想にもなりませんが、「え、そうなの」という個人的な驚きを一つ追加します。

 当時の子どもたちの遊びを紹介した「其の十二 ベイゴマ・凧その他」に次のような記述がありました。

 『ベイゴマは、遠い昔、関東以南の海でとれる海螺(ばい)という巻貝に粘土をつめてまわしたことから海螺弄し(ばいまわし)と言われ、ばいがべいに訛ったと聞いていたので、「貝の会」という名称をつけた』

 吉村さんが知り合いの編集者とともに、行きつけの小料理屋の二階で毎月一回、昔を懐かしんでベイゴマ遊びをする会を作った。そんな話です。実は私も小学校から中学校に上がる前後の一時期、ベーゴマにはずいぶん熱中しました。角度を付けてコマを床(とこ)に落とす。この廻し方には吉村さんも指摘するようにかなり技量がいります。

 (注:角度を付けるのは記事ではなく、あくまでコマであります。誤解のないように念のため)。

 私が驚いたのはそうした技術論ではなく、「ベーゴマ」だと思っていた遊びが「ベイゴマ」だったことです。鉄のコマは日本的な子どもの遊びとは少し離れた印象があったので、私は米軍の兵隊さんたちの遊びが変形して子どもたちに伝わったのではないかと思っていました。つまりべー軍のべーをとって「ベーゴマ」ですね。そうじゃなかったんだ。

 参考までに言うと、私が物心のついたころには、すでに日本は占領下ではなくなっていましたが、「べー軍」は割と身近な単語でした。例えば日本経済新聞の旧社屋があったあたりの土地は小学校3、4年くらいの時期には、子どもも大人も勝手に入り込んで野球ができる空き地になっていて、そこもなぜか「べーグン」と呼ばれていました。

 平日の夕方などは広大かつほとんど無人のその「べーグン」の土地を子どもたちが使い放題に使っていましたが、日曜日になると大人のチームが大挙して押し寄せます。したがって、子どものチームは恐竜全盛期の哺乳動物のように、小さな隙間を見つけてはこそこそと練習をしていたものです。そうか、変なところでセコイ性格はこういうところに遠因があったのか・・・おっと、大幅に脱線してしまいましたね。話を戻しましょう。

 「ベーゴマ」ではなく、「ベイゴマ」ですか。吉村さんは『三十年もたっているのにその廻し方が身についているのを知った』と書いています。ただし、これは例外的なケースのようで、『東京の下町』には以下のような記述もあります。

 『少年時代ベイゴマ遊びの巧みだったと称する人も、ゴザのくぼみ――床(とこ)にコマを入れるどころかまわすこともできない』

 実は私も数年前、ベーゴマならまかしとけ、と自慢した挙げ句、うまく廻せずに大恥をかいたことがあります。自信はあったんだがなあ・・・。

吉村昭著『東京の下町』 読後感想文

 2006年に亡くなった作家の吉村昭さんは東京の日暮里で生まれ育った。エッセイ『東京の下町』は戦前の日暮里周辺の町の様子を少年時代の記憶とともに描いている。ご自身が書かれているように雑誌の編集者に進められ、自分でも、そんなに書く材料はないだろうと思っているうちに一冊の本になるほど雑誌の連載が続いた。土地と人の記憶が織りなす相乗効果だろう。

 雑誌『オール読み物』の連載は1983年9月号から85年2月号まで1年半にわたって続き、連載終了の半年後に単行本が出版された。私が書店の店頭で新刊として手に取ったのは1989年(平成元年)に刊行された文庫の新装版だという。

  

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 『東京の下町』というタイトルにひかれたのは私自身、東京の下町で育った影の薄い(他の人の印象にはあまり残らない引っ込み思案の)少年だったからだ。

 冒頭の「其の一 夏祭り」には子どもミコシの思い出を語るこんな記述があった。

 『私は内気な性格であったので、それをながめているだけであったが、二歳下の弟はいつもワッショイ、ワッショイと大人びた顔つきでミコシをもんだりし、時には山車にのって得意げに太鼓の撥もふるっていた』

 吉村さんが書いているのは戦前の下町であり、私は戦後生まれなので時代は明らかに違う。だが、吉村さんの記憶に共通する感覚は、昭和30年代前半の小学生にも確かにあった。たとえば、祭りの掛け声に対するこんな違和感。

 『ソイヤとか、ホイヤ、セーヤなどとやっている。私が、この奇妙な掛け声を初めて耳にしたのは、二十年近く前、NHKテレビの依頼である下町の著名な神社をリポートした時である』

 あっけにとられている吉村さんに年老いた世話人の一人が「何となくああなってしまいましてね」と言い、吉村さんは『「なんとなく」変えてしまっては困る』と思う。

 これは立ち読みしている場合ではありませんね。「購入してじっくり読むか」と私は平台の一冊を手にレジへ向かった。祭りの掛け声をなんとなく変えてしまったのが、私の育った下町でないことを祈るよ・・・。

 吉村さんのゆったりとした書きぶりでよみがえる戦前の『東京の下町』は、私の育った戦後とは大きく異なっているはずだが、それでも共通の記憶とでも言うべきものがあちらこちらに出てくる。たとえば蝿取りデー。

 『緑色の金網のはられた蠅たたきで蝿を殺し、それを茶封筒に入れて町会事務所に持ってゆくと、なにがしかの景品をくれる』

 あったなあ。町会事務所でなく、保健所だったと思うけど茶封筒に入れて持って行った。子ども同士、殺した蝿を割り箸でつまんで封筒に入れ、その数を競うことに妙な対抗心がわき上がる。それほど多くの蝿がいる住環境は本来、自慢にもならないのだけど・・・。

 たとえば、くみ取り便所。吉村さんは『昔はよかったという人がいるが、便所だけを例にとってもそうとは思えない』と書く。つくづくその通りだと思っていたら、あとがきにはこうも書かれていた。

 『考えてみると、日本人の生活は、大ざっぱに言って明治以後、昭和三十年頃まで基本的な変化はあまりなかったように思う』

 そうか。私などはその最後の方に東京の下町で幼少期を過ごした少年だったのか。

 『下町ブームとかで、すべてが良き時代の生活であったごとく言われているが、果たしてそうであろうか。確かに良きものがありはしたが、逆な面も多々あった。

そうしたことを私は自分の目で見、耳できいたまま書くことにつとめたつもりである』

 またしてもその通りと思いつつ、それでも自分が生まれる少し前の時代の魅力が、懐かしい思い出のように伝わってくる。類い希な作家の貴重な記述というべきだろう。こういうことがあるからやはり、本は書店で手に取って購入すべきですね。

 

HIVcheckをチェックする  TOP-HAT Newsの第103号 

 エイズソサエティ研究会議が東京都の委託を受けて編集しているTOP-HAT News第103号が発行されました。HATプロジェクトのブログでご覧いただくことができます。

asajp.at.webry.info といっても、クリックしてリンクに跳ぶのもおっくうだという方もいらっしゃるかもしれないので、以下コンテンツを再掲しておきます。

 

     ◆◇◆ 目次 ◇◆◇◆

1 はじめに HIVcheckをチェックする

2 SH外来開設 国立国際医療研究センター

3  TRP2017レインボーウィーク

4  「つながる、ひろがる、わかちあう」AIDS文化フォーラムin横浜 報告書

5  グローバルファンド次期事務局長選出、仕切り直し

      ◇◆◇◆◇◆

 

1 はじめに HIVcheckをチェックする

 医療機関NGOが協力して検査の普及に取り組んできた「HIVchek」の研究結果報告がコミュニティセンターaktaの公式サイトに掲載されています。

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 この研究は、国立国際医療研究センターの国際医療研究開発費を受け、2015年にスタートしています。その年の8月から翌16年12月末までのほぼ1年半にわたって東京・新宿2丁目にあるコミュニティセンターaktaでHIV検査キットを配布し、MSM(男性とセックスをする男性)を対象にウェブサイトなどで検査を呼びかけました。

わが国のHIV感染報告の圧倒的多数を占めるのは男性同性間の性感染であり、予防対策の観点からはMSMコミュニティのHIV陽性率を把握する必要がある。その把握に向けたシステムを構築し、あわせてMSM層の検査普及を進めていくことが研究の目的だったようです。

 もちろん、そのためにはこれまで検査を受けなかった人、検査を受けにくいと感じていた人が検査を受けてみようと思えるような条件を整えていかなければなりません。また、HIV感染に関連する様々な相談に応じ、検査で陽性と判明した人には安心して治療を受けられるようにする。そうした仕組みも必要です。

 このため研究は設計段階で、akta、ぷれいす東京という2つの特定非営利活動法人国立国際医療研究センターエイズ治療・研究開発センター(ACC)のスタッフが十分な打ち合わせを行い、プログラムの実施もNGO医療機関との緊密な連携のもとに進められました。受検者から見ると「HIVcheck」は次のような流れになります。

  1. 啓発によりHIVcheckを知る
  2. aktaでHIV検査キットを受け取る
  3. 自己穿刺血の採取
  4. エイズ治療研究センターへ「ろ紙」を送付
  5. 専用ウェブサイトで検査結果閲覧
  6. 「確認検査が必要」な場合は医療機関を予約し、確認検査、受診

 検査キットは基本的に毎週木曜の19時~22時に配布しました。その時間帯には、ぷれいす東京の相談員が派遣され、相談を希望する人を対象に対面相談も行っています。対象となる年齢層の違いを考慮し、新宿以外に上野でも3回、出張配布が実施されています。 

 研究の結果はaktaのサイトで詳しく報告されているので、詳細はそちらでご覧いただくとして、ここでは概要のそのまた概要だけ紹介しましょう。

 期間中のHIV検査キットの配布数は1702件で、そのうちの82.2%にあたる1399件の「ろ紙」が今年2月までに回収されACCのラボで検査を行っています。結果は陰性1354件、判定不能11件、陽性34件でした。判定不能は「ろ紙」の血液量が少なかったために判定が困難だったようです。この点はキットに改善の余地がありそうです。

 同じ人が複数回、受検しているケースもあるので、この点を考慮すると推定受検者数は1119人になります。陽性は34件だったので、推定陽性率は3.04%。あくまで今回は、という限定的な意味での3.04%ということで、言及には慎重にならざるを得ませんが、それでも新宿を中心にした首都圏MSM層の陽性率を推測する一定の目安にはなりそうです。

 aktaスタッフによると開館時間直後に訪れて雑誌などを読みながら過ごし、閉館時間の間際になってようやく検査キットをもらって帰るというケースもあったそうです。HIV検査を受けることへの逡巡が人によってはそれほどに強いことを示すエピソードでしょう。検査をためらっていた人にとっては、HIVcheckの手法が一歩を踏み出す機会になったことも推測できます。

 性的少数者のためのコミュニティセンターという場が、aktaのようなかたちで存在していたこと。これが今回の研究の前提条件でもありました。少し堅めに表現すれば「支援の基盤整備が予防としての検査や治療につながる」ともいえそうです。

 研究は2016年度でいったん終了しました。しかし、せっかくの試みも「研究しました。一定の成果がありました」という報告で終わってしまうのでは意味がありません。

 研究ベースでの継続や事業としての持続的な展開が可能になるには、これからもさまざまな工夫が必要になります。幸いにして医療、NGOの双方が一定の成功体験を得たことで、関係者間の継続への士気は高く、この点にも大いに期待できそうです。

 

2 SH外来開設 国立国際医療研究センター

 HIVcheckに関連する新たな動きとして、国立国際医療研究センターに今年1月からSH外来(16歳以上のHIV陰性ゲイ・バイセクシュアル男性を対象に性感染症の検査と治療を行う外来)が開設されました。

《病気になったら病院に行くという、これまでの性感染症外来と異なり、定期的に自分の体をチェックしながらSexual Healthを維持していくという、全く新しい発想の外来です》

 この外来では《性感染症HIVのリスクを明らかにする事を目的とした研究》も実施しており、ほぼ3カ月ごとにHIV、梅毒、肛門の淋菌とクラミジアの検査を受ける研究参加者も募集しています。詳しくはHIVcheckのサイトの下記ページをご覧下さい。

hivcheck.jp

  3  TRP2017レインボーウィーク

 東京レインボープライド(TRP)2017のレインボーウィークは4月29日(土)から5月7日(日)まで9日間にわたって実施されます。期間中のイベント予定はTRP公式サイトでご覧下さい。 

tokyorainbowpride.com

 東京都代々木公園イベント広場&野外ステージで開催されるフェスタは5月6日、パレードは最終日の5月7日です。

 

 

4  「つながる、ひろがる、わかちあう」AIDS文化フォーラムin横浜 報告書

 昨年8月に開催された第23回AIDS文化フォーラムin横浜の報告書PDF版が公式サイトにアップされました。

http://www.yokohamaymca.org/AIDS/01/kako.htm

《オープニングでは「自立は、依存先を増やすこと」「希望は、絶望をわかちあうこと」というメッセージを発信している東京大学当事者研究を行い、自らも脳性まひ障害のある熊谷晋一郎さん、自らもゲイで当事者支援を行うドントウォーリー副代表の谷山廣さんが登壇し、「つながる、ひろがる、わかちあう」ことの重要性や、そのような社会の実現、実現するための現在の課題などについて、ともに考える時間となりました》

 

5  グローバルファンド次期事務局長選出、仕切り直し

 今年5月末に退任する世界エイズ結核マラリア対策基金(グローバルファンド)のマーク・ダイブル事務局長の後任選びが難航しています。2月27日の理事会で決定する予定でしたが、最終候補3人のうち1人が辞退し、残る2候補からは選出できないとの結論になりました。

http://fgfj.jcie.or.jp/topics/2017-03-06_edelection

 選考をやり直し、今年後半に選出する方針で、それまではマライケ・ヴェインロクス官房長が事務局長代行を務めます。

 

鎌倉の大工さんが総出で・・・御成小旧講堂、国の登録有形文化財に

 鎌倉駅の西口から3、4分歩いたところにある御成小学校の旧講堂は外から見ただけでも大変、風格のある建物です。10年ほど前に鎌倉に引っ越してきた頃は、道を歩きながら、屋根の上の塔屋を仰ぎ見ては「何だろう」と思ったものです。立派ですね。
 かつて講堂として使われていた木造建築で、最近は物置きぐらいにしか使われていなかったのでしょうね。手入れをしていなかったこともあって傷みも激しく、いっそ取り壊したらなどと本気で検討されたこともあったようです。
 その御成小旧講堂が国の登録有形文化財(建造物)になるという記事が本日(4月1日)の産経新聞神奈川版に掲載されていました。

www.sankei.com

 誤解のないようにお断りしておきますが、エイプリルフールのフェイクニュースではありませんよ。鎌倉市の公式サイトの記者発表資料のページにも3月11日付で掲載されています。
 https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kisya/data/2017/20170311.html

 よかったですね。御成小講堂の保全活用をめざす会の皆さんが歴史的、景観的価値を粘り強く説得してきた成果だと思います。Facebookの写真をお借りします。
https://www.facebook.com/OnariKoudouHK/

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 産経新聞の記事によると『旧講堂は昭和8年、鎌倉御用邸跡地に建てられた。延べ面積は約690平方メートルで、屋根の上に2つの塔屋を乗せた風格あるデザインや、和風と洋風のテイストを融合させた構造が特徴』ということで、建設には「鎌倉の大工が総出であたった」そうです。

 そうか道理で・・・と改めて感心するとともに、いいかたちで残していけるよう保全活用をめざす会の皆さんにもさらなる健闘を期待したいと思います。